文化で遊ぶ

(旧タイトル:文化の誕生)

石と文化

前回の記事に添付致しました写真についてですが、金剛峯寺のHPを確認した所、同じような写真が掲載されていました。やはり、これは高野山金剛峯寺における庭園ということで、間違いなさそうです。

 

それにしても、いかがでしょうか。そこには、物と自然に関わる圧倒的と言っても過言ではない、文化の姿が見て取れます。掃き清められた地面に配置された岩の数々。それらはあたかも海上に浮かんでいる島々のように見えます。まず、大自然があって、そのミニチュアを作る。そこに1つの文化の類型を見ることができます。

 

そして、写真の中央に写っている白っぽい岩。ブログ上では少し見にくいかも知れませんが、右下の方は明らかに材質が異なっている。いくつかの層があって、それが歪められ、他の材質に接続されている。多分、何万年という歳月が層を生み出し、大地のエネルギーがそれらを歪め、そして地球の熱が異なる材質を接続した。そんな風に想像することもできます。大自然のダイナミズムが、この岩に凝縮されている。そういう見方をしていますと、ちょっと感動してしまいます。

 

あの岩自体は、自然の産物であって、人が作り出した芸術ではありません。しかし考えてみますと、2次性の芸術、すなわち美術というのは、まず、自然の素晴らしさがあって、それを模倣するところから出発している。自然の方が本家本元なんですね。そんなことを考えていますと、「あの岩が欲しい!」という、とんでもない欲望に駆られてしまいます。

 

ちょっと話が飛躍してしまいましたので、このブログの現在の立ち位置を補足させていただきます。

 

1次性の文化というのは、動物を真似る所から始まって、歌う、踊る、着飾る、という現象を生み、それが祭りに発展する。しかし、年を重ねるに従い、私自身は1次性の文化に対する興味を失いつつある。そして、3次性の文化というのは、動物を敬うところから出発し、人間に想像力を喚起し、思考という能力を与えた。いくつかのステップを経て、一部の人間は論理的に思考するようになった。しかし、現在の日本の政治状況に象徴されるように、現実の世界では1次性のメンタリティと3次性のメンタリティが激しく対立していて、論理的に考えれば考える程、腹が立って来る。そういう怒りに満ちたメンタリティにも、私は、疲れてしまった。平穏な心の状態というのを求めている。そこで、2次性、すなわち“物と自然”に回帰したいと願っている。

 

話を元に戻しましょう。あの岩が欲しい、と思ったところからです。あの岩の値段がどれ程なのかは分かりませんが、そもそも金剛峯寺というりっぱなお寺の庭にある訳で、私が購入できるはずはありません。そもそも、私にそんな資金力はありませんし、マンション住まいなので、岩を置く場所だってないのです。

 

しかし、物は考えようです。そもそも、あの岩を買ったとしても、私はいずれ死んでしまいます。そして、私が生まれる前からあの岩は金剛峯寺のあの場所に、置かれていたのではないでしょうか。すると、所有するという固定概念にとらわれる必要はない。私は、あの岩の写真を持っている。それだけで、十分かも知れない。

 

そもそも、人間と物との関係は、次の3種類だった。

 

物に機能を付与する。
物に願いを込める。
物に何かを象徴させる。

 

現在の私の心理状態からしますと、私は、岩とか石に機能を求めている訳ではない。願いを叶えて欲しい訳でもない。残るは“象徴”ということになります。

 

そこで、例えば、次のようなことを考えたのです。石ころを集めてみる。そこら辺に落っこちているものでいい。ただ、隣の駐車場にあるような石では、私と石との間に関係性が生まれない。そんな石に何かを“象徴”させることはできない。意味が欲しい。では、どこか旅行に行って、その際、一つだけ石を拾ってくる。そうすれば、その石は旅の思い出だとか、旅先という“場所”を象徴することになる。

 

もちろん、石にも良し悪しがあるのだろうと思う。しかし、その審美眼は、いくつもの石を見ていれば、自然と養われてくるのではないか。拾ってきた石は、木の板に並べて置くとか、どこかの棚の一角に並べてみてもいい。そして、時折、眺めてみる。ただ、石の数が増え続けるのは困る。石の数は、最大でも7つ位がいい。それぞれの石は、常に私の審美眼によって評価される。そして、8つ目の石がランクインした場合、どれか一つの石が廃棄されることになる。廃棄の場所は、隣の駐車場で十分だろう。これなら、お金もかからない。これって、趣味として成立しないだろうか。

 

そんなことを考えながらDamselさんのブログ(1023.blog.so-net.ne.jp)を拝見していたところ、水草水槽というのが出ていました。水槽の中に石や木片を入れて、水草も入れる。こちらは、りっぱな趣味として成立しています。最終的には、魚も入れるのでしょうか。出来上がるのが、楽しみです。