文化領域論

(No.196 ~ No.    )

No. 196 文化領域論 はじめに

記号学のパース(Charles Sanders Pierce, 1839 - 1914)は、仮説と発見の論理としてのアブダクションについて、次のように説明している。

 

まず、驚くべき事実が観察される。

しかし、もしある仮説が真実だったとしたら、かかる事実は当然の事柄である。

よって、その仮説が真実であると考えるべき理由がある。

 

本稿は、上記の論理に準ずることを目標としている。そこで、まずは私が観察した驚くべき事実とは何だったのか、そこから記載してみたい。

 

都会の夜にはネオンが煌めき、人々は敵と味方を識別して集団で競いあっている。アイドルたちは今日も歌い、踊っている。田舎の路傍には、お地蔵さんが立っており、本屋へ行けば無数の書籍が並んでいる。私たち人間は、なんと多様な世界に生きているのだろう。そればかりではない。どんなに語り合っても、分かり合えない人たちもいる。この点は、国会を見れば明らかだ。そこでは、論議が噛み合うこともなく、与党と野党が激しく対立している。これらが、私の観察した「驚くべき事実」である。

 

しかし、一見雑多に見える現実世界も、実はそれぞれに文化的な背景を持っており、分類できるのではないかという仮説を立ててみた。すなわち、記号系、競争系、身体系、物質系、想像系の5種である。

 

古くはデカルト(Rene Decartes, 1596 - 1650)が、人間を精神と肉体に分割して考えた。2元論である。私の考えでは、身体系という領域があって、精神と肉体とは分かちがたいことになる。その後、分析心理学のユング(Carl Gustav Jung, 1875 - 1961)は、そのタイプ論において、人間のタイプを思考、直観、感覚、感情の4種類に分類した。私はこの考え方に多大な影響を受けたが、本稿の立場は異なるものとなっている。更に、カイヨワ(Roger Caillois, 1913 - 1978)は「遊び」の種類を4つに分類した。これから述べる文化領域論は、これとも異なる。

 

仮に無文字社会の人たちがクルマとは何か、理解しようと試みたとしよう。ある人はクルマを鉄とプラスチックとゴムで出来ていると考えるかも知れない。しかし、この分類では、クルマの本質に迫ることはできない。クルマとは、エンジンなどの動力系、動力をタイヤに伝える動力伝達系、ハンドルなどの操作系、そして車体の4種に分類すべきなのだ。このように分類できれば、その人はもうクルマという複雑なシステムの半分は、理解できたも同然であろう。これと同じで、もし、記号系など5種の分類が正しければ、私は既に文化という巨大で曖昧な人的現象の半分を理解したことになる。但し、逆もまた真なり、ではある。

 

本稿を執筆することになった経緯には、もう一つ、個人的な理由がある。それは、永年勤めた会社を辞し、引退したことである。2014年末のことである。現役時代、私は馬車馬のように働いた。長時間労働である。生活の大半は、仕事のために費やされた。そして引退してみると、少し現実世界が違った様子に見えてきたのである。多分、引退を契機として、私自身、現実世界との新たな関係性の構築を必要としていたのだろう。

 

本稿は、文化的な現象とその背後に潜む人間のメンタリティについて検討するものである。従って、例えば臨床心理学のように、心の病を癒すことはできない。ましてや、金儲けのヒントなどは、これっぽっちも含まれないし、恋愛のテクニックについて検討されることもない。しかし、文化やメンタリティの各領域を明確に認識することによって、あなたは何かを発見するかも知れない。例えばそれは、私が「石ころ」の魅力に気づき、桜の老木との間に特別な「意味」を発見したように。