文化領域論

(No.196 ~ No.    )

No. 198 第1章: 文化が誕生するプロセス

 

まず、ある架空の事例を提示させていただきます。場所は日本で、時期は大昔という設定です。

 

ある日、山奥に住んでいる少年が、川沿いの小道を歩いていた。すると、バシャという水音が聞こえる。音に気付いた少年は、何だろうと訝しく思う。魚が跳ねたのかも知れない。音のした岩陰に近づいて、水中に目を凝らす。やはり、魚が泳いでいる。しかも、一度に数匹の魚影が確認された。どうだろう、その魚をつかまえることはできないだろうか。川の水は、そう深くない。ひざ下までつかれば、川底に手が届きそうだ。少年は、草履を履いたまま、渓流の中に入っていく。少年は、魚をなんとか浅瀬まで追い込もうとするが、1人では無理だ。そうだ、明日、友人たちに声を掛けてみよう。

 

翌日、少年とその友人たちは、その岩場にやってくる。数人で、魚を複数の方向から、浅瀬に追い込んでいく。やがて少年たちは数匹の魚を手に入れる。魚を家に持ち帰ると、大人たちも喜んだ。炭火で焼いてみる。やがて、その魚を塩焼きにして食べるという文化が生まれ、その地方に根付く。便宜上、この魚はイワナであったことにしましょう。

 

上記の例は、以下の通り、6つのステップに分割して考えることができます。

1.記号・誘因
 少年が聞いたバシャという水音。これが記号である。上記の例では、全てがこの水音から始まっている。また、文化を誘い出す原因というイメージも含めて、“誘因”という言葉を併記しておく。

 

2.対象認識
 次に、記号の指し示す対象がイワナであることを少年は認識する。

 

3.意味・関心
 少年は、自分と対象との関係性を考える。すなわち、その魚を捕獲することが可能なのか。少年は、可能であろうと考える。そして、少年はイワナと自分との間に意味を認め、関心を持つ。

 

4.関与的経験
 少年は、渓流の中に踏み込み、イワナという対象物に関与しようと試みる。この行動は、未だ体系化されていない。すなわちこの行動は、“遊び”に似ている。

 

5.メンタリティ
 少年は、イワナに興味を持ち、かつ、なんとか捕獲できないだろうかと思う。少年は、まず、そういう個人的なメンタリティを持った。そして、そのメンタリティは、数人の友人たちとの間で共有されたのである。個人的なメンタリティが、集団的なメンタリティに拡大したのだ。

 

6.様式化された行動・文化
 少年のメンタリティは、大人たちの間でも共有された。すると、イワナを捕獲する方法だとか、捕獲したイワナの調理方法など、大勢の人間が研究し始める。すると、イワナを串に刺して、炭火を使って塩焼きにするのが良かろうということになる。ここまで来ると、一連の行動は様式化される。この様式化された行動の体系が、文化である。

 

次に、未だ私たちのメンタリティに傷を残す、東日本大震災の例を考えてみましょう。

 

1.記号・誘因
 大震災が発生する。

 

2.対象認識
 体感した地面の揺れなどに続き、メディアを通じて、地震の強度、被害の甚大さなどを認識していく。

 

3.意味・関心
 自分との関係性に照らして、大震災の意味を考える。すなわち、被災地の周辺に居住している者などは、被災地に自分の親戚や友人が居住していないか考える。

 

4.関与的経験
 被災地に居住している親戚や友人などに、電話をしてみる。メールを送ってみる。必要があれば、水や食料品を宅配便で送ろうとする。

 

5.メンタリティ
 まず、個人的なレベルで、被災地を支援したいというメンタリティが生まれる。やがて、そのメンタリティは集団によって共有される。

 

6.様式化された行動・文化
 被災地を支援する組織が設置され、情報が集約され、支援物資の供給ルートなどが整備されていく。そして、ボランティアという様式化された文化が機能し始める。

 

 上記6つのステップは、個人的な認識や経験が、やがて集団的なメンタリティや行動に拡大していく段階を示している。やはり、文化とは集団によって共有されるものであって、そこに本質的な特徴がある。では、各項目について、補足的な説明を記してみます。

 

1.記号・誘因
 “記号”については、このブログのNo. 164~No. 166に記載したので、ここでは繰り返さない。
 次に、“誘因”という言葉を併記した理由について述べます。元来、記号というのは個人によって認知されるものです。他方、文化というのは人間集団によって共有されるもので、特定の人間集団に文化を生み出すように促すきっかけのようなものも存在する。そこで、この“誘因”という言葉を併記することにした次第です。例えば、1945年に広島と長崎に投下された原爆。確かに最初はピカッと光った閃光があって、個人レベルではそれが記号として認識されたに違いありません。ただ、集団レベルでの被爆という事実は記号として認識されたのではなく、その後の平和主義という文化を生み出す“誘因”として機能した、と考える方が良いと思いました。

 

2.対象認識
 “認識”とは哲学上の大問題なのだろうと思いますが、本稿にはあまり関係がありません。ここでは、哲学中辞典(知泉書館)の一文を引用させていただきます。
 -認識は現象から本質へ、さらにより深い本質へと接近していく無限の過程であり活動である。-

 

3.意味・関心
 “意味”について、私は、記号が指し示す対象と自分との関係性だと考えています。なお、“関心”については、米盛裕二氏がその著書「アブダクション」(勁草書房)の中で、次のように述べています。
-「関心」、「配慮」とは、すなわちわれわれ認識主体と世界を関係づける作用であり、世界に対するわれわれ認識主体の積極的な「関与」の仕方を意味しているのである。―

 

4.関与的経験
 この“関与的経験”というのは、私の造語です。まず、関与的というのは、「記号が指し示す何らかの対象に働きかける」という意味です。これは予備的な営為であって、ちょっと触ってみる、ちょっと遊んでみる、チャレンジしてみる、という意味合いを含みます。例えば、石ころに関心を抱いた私が、石拾いに出かけてみる。これが、“関与的経験”であり、既に様式が完成されている“水石”は文化であるということになります。また、仮に“行動”と言うと、人間が能動的に行っているイメージがあります。しかし、広島や長崎における被爆は、受動的なものです。よって、ここでは行動と言わず“経験”という言葉の方が適切だと考えました。

 

5.メンタリティ
 この用語を特別な意味で使用している訳ではありませんが、一応、定義を定めておきます。
 メンタリティ・・・何に興味を持つのか、何を尊重し何を優先させるのか、何に価値を見出すのか、反対に何を否定するのか、これらの事項を決定する精神的な構造であり、心的な傾向である。個人的なものと、集団的なものがある。

 

6.様式化された行動・文化
 関与的な経験の段階で、様々な可能性が試される。そして、人間集団の間であるメンタリティが共有されることになる。すると、こうした方がいい、こうあるべきだという価値観が生まれ、その価値観に基づき様式が生まれる。この様式化された行動が、文化である。

 

項目だけを並べてみましょう。

 

1. 記号・誘因
2. 対象認識
3. 意味・関心
4. 関与的経験
5. メンタリティ
6. 様式化された行動・文化

 

1番から4番までの段階を個人レベルで考えた場合、それはこのブログで既に述べました“記号原理”に相当します。(詳細は第3章で述べる予定です。)また、4番から6番までを集団レベルで見た場合、一つの原則を発見することができます。すなわち、経験がメンタリティを生み、メンタリティが文化を誕生させる。戦争による悲惨な経験があって、平和を希求するという集団的なメンタリティが醸成され、平和主義という文化が生まれ、それは我が国の憲法という様式において結実している。そういう関係にあるのだと思います。