文化領域論

(No.196 ~ No.228)

No. 205 第6章: 物質系

 1.機能

 

私たちの生活の主たる部分は、“物”を利用することによって、成り立っています。物の機能を引き出す。食物などは、その代表例だと思います。肉や魚が持っている栄養分を、私たちは食べることによって吸収している。そして、物に機能を付与する。ボールペンにしても電卓にしても、機能が付与されている。

 

食料を保存できなかった時代、人々は、狩猟によって得た獲物の肉をその場で食べていたはずです。また、子供や弱者の生命を維持するため、獲物はある程度、平等に分配されていた。原始共産制ですね。やがて人間は、農耕、牧畜を始め、定住するようになった。また、肉を干す、燻製にするなど、食料の保存の仕方が分かってくる。すると、それらの食料は他の集落の人と交換できるようになる。そして、物の交易が始まる。更に、貨幣という記号が発明され、交易は活発化する。これが、経済だと思います。

 

人々は、とにかく知恵を絞って、物に働きかけた。そして、物や自然が持っている利用価値を発見すると共に、新たな物を発明してきた。この働きが、やがて科学を生む。

 

このように考えますと、経済も科学も、その根っこには文化があるのであって、文化には反対概念というものが存在しない。最近、私はそう考えるようになりました。

 

この物を利用する、物の機能を引き出すという文化は、新たな欲望を掻き立てて来た。より便利な物、より快適な環境を求め、人間は山を切り崩し、海に廃棄物を捨て、空気を汚染してきた。その何者をも恐れない態度は、傍若無人としか言いようがありません。そして、農耕、牧畜を主目的として形成されていた村落とは別に、経済効率を目的として、人々は都市の建設に着手する。そこでは、寸分の隙間も許さない程、コンクリートのビルディングが建設され、路面は全てアスファルトで覆われた。排除されたのは、他の動物であり、植物であり、自然そのものだと思います。このような人間の振る舞いを支えて来たのは、あたかも力づくで環境を支配しようとするメンタリティだったと言わざるを得ません。

 

また、私有財産制が一般化したこともあり、機能を利用する物の文化の特徴は、個人的であると言えそうです。この点、集団的な文化である“競争系”や“身体系”とは、明らかに異なっています。

 

2.呪術

 

物が持っている本来の機能とは離れて、物に願いを込めるという類型があります。これが呪術です。(呪術については、このブログのNo. 12~No. 15に記載)呪術には、人の不幸を願う黒呪術と、自分の幸福を願う白呪術があります。前者の代表例は呪いの藁人形で、後者の例としては木札に願いを込める“お守り”などがあります。

 

ここでは、薬について考えてみます。現代のように医薬品が発達していなかった時代は、大変だったと思うのです。例えば、虫歯になる。これはもう痛くて仕方がない。我慢するにも程がある。こういう時は、それこそ藁にもすがりたくなる。すると、あの草が痛み止めに効くのではないかとか、こういう呪文を唱えてみたらどうだろうと、それはもうありとあらゆる手立てを考える訳です。呪文の方は、効き目はありません。しかし、手あたり次第に草を患部に当ててみたり、煎じて飲んだりしていると、まぐれ当たりする場合がある。そういう事例を集約すると、漢方薬というものが生まれる。何故効くのか、理由は分からない。ただ、経験的に効果のあることが分かってくる。こう考えますと、呪術を馬鹿にする訳にもいきません。

 

兵馬俑(へいばよう)と呼ばれる秦の始皇帝のお墓には、皇帝があの世に行っても困らないようにとの願いから、土で作った従者や馬などが大量に埋められています。その発掘は今でも続いているようです。写真で見る限り、その従者の姿というのは、日本の埴輪に似ている。埴輪も同じような目的で、偉い人のお墓に埋められていたようです。これなども、呪術の一種だと言えると思います。

 

3.空間表現

 

人は昔から、物を使って空間を表現してきたのではないか。例えば、エジプトのピラミッド。これも王様のお墓です。一説によると、当時のエジプトには農閑期があった。その間、農民の収入源が断たれてしまう。そこで、為政者がピラミッドの建設を思いつく。建設作業に従事した農民には、給料が支払われた。だから、農民たちは喜んでピラミッドの建設に協力した、というものです。

 

ピラミッドの建設には、上記の通り、経済的な理由があったのかも知れない。また、お墓ということであれば、呪術的な理由もあったに違いありません。(ピラミッドという物に、王様のあの世での幸せを願う)それはそうだと思うのですが、しかし、いずれの理由も、ピラミッドをあそこまで大きくする理由にはならないと思うのです。仕事量を確保するのであれば、複数のピラミッドを作れば良い訳で、事実、ピラミッドは複数存在しますし、近くにはスフィンクスの像だって建っている。巨大なピラミッドを建造した本当の理由は、そうすることによって、空間というものを表現したかったのではないか。巨大なピラミッドを目前にすれば、その巨大さを実感すると共に、それよりも更に広大な空間というものを認識することができる。

 

人間には、どうも巨大なものを作りたがる習性がある。古代のギリシャ人は巨大な劇場を作った。日本人は、奈良に大仏を作った。いずれの場合も、空間を認識するという隠された意図があったのではないか。

 

身近な例もあります。例えば、公園にあるジャングルジム。その中で遊ぶことによって、子供たちは空間を認識する。

 

4.象徴

 

ピラミッドとは反対に、人間には小さなものを作るという文化があります。分かり易い所では、盆栽がある。言うまでもなく、これは大自然の中で長い時間を掛けて成長した大木のミニチュアです。すなわち盆栽は、自然の大木を“象徴”している。

 

日本庭園という文化も、素晴らしいと思います。こちらも大自然のミニチュア版だと思いますが、本物の大自然というのは、なかなか手が届かない。そこでミニチュアを作る。ミニチュアだから、触ってみることも、ゆっくり眺めることも、いろいろ想像をふくらませて楽しむこともできる。そして、私たちのメンタリティは、大自然とつながっていく。

 

多くの場合、日本庭園には立派な岩がある。この岩という“物”も何かを象徴している。それは、大自然であるとも言えるし、地球を象徴しているとも言えそうな気がします。まさに、岩とか石は、地球の一部分だと思うのです。そして、地球には我々の想像を超える程長い、46億年という歴史がある。

 

温泉大国日本ならではの文化として、岩風呂を挙げることができます。温泉の湯船の縁辺りに、大きな岩が配されている。そんな岩を見て、触って、私たち日本人は心の安らぎを得てきた。

 

(この章のまとめ)

 

一口に“物質系”と言っても、それは自然を征服するかのような“機能”に関わるものから、自然との共生を目指す“象徴”に関わるものまであります。言うまでもなく、現代社会は“機能”を優先していますが、そこに人間の幸福があるのか、私には疑問です。むしろ、現代社会が忘れかけている“象徴”に関わる文化にこそ、大切にすべき何かが秘められているのではないでしょうか。

 

晩年、日本を訪れたレヴィ=ストロースは、棚田を見て感動したそうです。そこに彼は、自然と調和しながら暮らしている日本人の奥ゆかしさを見たのでしょう。

 

この章 終わり