文化領域論

(No.196 ~ No.228)

No. 213 第9章: 心的領域論(その6)

 

6.ゴーギャン

 

フランス人の画家のゴーギャン(Paul Gauguin, 1848-1903)が、どうも私の家に住み着いてしまったような、そんな気分です。当初は軽い気持ちで、ゴーギャンについて記載してみるつもりだったのですが、彼の作品や人生と向き合っているうちに、私の心の中でゴーギャンの存在は巨大化し、とても短い文章では語り尽くせないことが分かりました。ただ、ここでゴーギャンについて述べておかないと、私の「心的領域論」は完結できない。そのため今回は、無理を承知で、簡単に記載してみることにします。

 

まずは、彼の略歴を記してみます。

 

1848年(0才) 6月7日、パリに生まれる。
1849年(1才) 一家は、ペルーに移住。ここでゴーギャンは、古代ペルーの陶器に接する。この時点で、ゴーギャンの古代に対する興味が形成された。
1855年(7才) 一家は、フランスへ帰国。
1865年(17才) 見習い水夫となる。その後、世界周航に出る。
1868年(20才) 海軍に入隊。
1871年(23才) 海軍を除隊。株式仲買商に勤務する。以後、株式仲買人として、成功する。絵を描き始める。以後、日曜画家となる。
1873年(25才) デンマーク人のメット・ソフィエ・ガーズと結婚。以後、彼女との間に5人の子供をもうける。
1883年(35才) 勤務先に辞表を出し、プロの画家を目指す。
1888年(40才) アルルにて、ゴッホとの2か月の共同生活。ゴッホの耳切事
件後、パリに帰る。
1891年(43才) タヒチへ移住。
1893年(45才) 健康を害すると共に経済的に破たんし、フランスへ帰国。
1895年(47才) 娼婦との接触により、梅毒に感染する。2度目のタヒチへの移住。
1897年(49才) 愛娘、アリーヌが死去。「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」を制作。その後、自殺を図るも未遂に終わる。
1901年(53才) タヒチを去って、マルキーズ諸島のヒヴァ・オア島に移住。
1903年5月8日、心臓発作のため死去。享年54才。

 

まず、心的領域論の立場から、考えてみましょう。

 

25才で結婚したゴーギャンは、本人のメンタリティがどうであったかは別として、仕事(競争系)の世界と家庭(身体系)の領域に身を置いていた。ところがまず、35才で仕事を辞め、画家を目指す。画家というのは物質系(象徴)ということになります。次いで、43才になったゴーギャンは、単身、タヒチへ移住する。タヒチというのは、太平洋のほぼ真ん中に位置しますが、緯度はオーストラリアと同程度です。フランスからタヒチまでの旅は、2か月程度を要したようです。ゴーギャンは、タヒチに到着すると間もなく先住民の少女と同棲を始めます。ここら辺から、ゴーギャンにまつわる“悪役”のイメージが出来上がっているのでしょう。実際、ゴーギャンはその生涯を通じて、結婚や同棲を繰り返し、生活を援助してくれた恩人の妻を寝取るなど、その悪行は数え切れません。ただ、株式仲介会社を辞めたのは、当時、不況となり、辞めざるを得なかったというのが真相のようです。また、ゴーギャンタヒチからも正妻(メット)に手紙を送り、仕事が軌道に乗り次第、一緒に暮らそうと述べています。人間誰しも、複数の側面を持っており、ゴーギャンも例外ではなかったということでしょうか。ただ、ゴーギャンは人並外れて楽観的で、傲慢で、自信家だったことに間違いはなさそうです。画家としてやって行こうと決めた時にも、どうやら「画家というのは儲かるいい商売だ」と考えていたようです。ゴーギャンのこの楽観主義が、彼の破天荒な人生を導いたと言えそうです。

 

また、画家になったゴーギャンは、想像系のメンタリティを獲得していく。この点は、ゴッホとの比較で考えてみると分かり易いと思うのです。

 

ゴッホは、あくまでも共感を求める身体系のメンタリティと、画家として大自然に向き合う物質系のメンタリティを持っていた。しかし、ゴッホが想像系のメンタリティを獲得することはなかった。想像系がないということは、すなわち、ゴッホの作品には物語性がない、ということだと思います。もちろん、ゴッホが描いた麦畑の上空にはカラスが飛んでいる。これは不吉な何かを象徴していると思います。また、ゴッホの描いた向日葵(沢山のバージョンがありますが)は、咲き誇っているものばかりではなく、枯れているもの、種を宿しているものなどがあり、これらは人間の一生を暗示しているように思います。しかし、ゴーギャンのように、それらの象徴的な対象物を追求するという姿勢は、ゴッホにはなかったように思えます。つまり、ゴッホ印象主義だった。あくまでも自然に接し、そこから感じ取られる形を強調し、色彩を強化する。すなわち、印象に基づいて、自然をアレンジする。これが印象主義ですね。しかし、それでは印象主義と言っても、本質的には自然に依存している、リアリズムと同じではないか、という批判も出て来る。

 

これに対して、ゴーギャンは、自然界には実在しない、観念や象徴的なモチーフを追求し続けたと言えます。例えば、旧約聖書に出て来るイブ。アダムと一緒にリンゴを食べてしまった女性のことですが、彼女が姿を変容させながら繰り返し描かれる。その他にも、悪徳を象徴するキツネやカラス、死霊など、ゴーギャンはあくまでも想像上のモチーフを描き続けた。そこで、1891年にアルベール・オーリエという評論家が「絵画における象徴主義」という論文を発表し、ゴーギャンを絶賛したのです。やはり、ゴーギャンは“象徴”なんです。

 

ゴッホ・・・・・身体系、物質系・・・印象主義

ゴーギャン・・・想像系、物質系・・・象徴主義

 

ゴッホは画家になる前、宣教師のような仕事に就いていました。そして、医者も見放した重病人をつきっきりで看病し治癒に導いたとか、貧しい人に自分のコートをプレゼントしてしまったという美談があります。しかし、このゴッホの過剰な感情から、その仕事をクビになってしまう。ゴッホはあくまでも善人であろうとした。これに対して、ゴーギャンの中では、善と悪が交錯している。

 

では、そのようなゴーギャンのメンタリティがどこからやって来たのか、ということを考える訳ですが、その起源は、幼少時に日常的に接していた古代ペルーの陶器にあるように思います。このような原始芸術の中には、善も悪もない。原始芸術においては、人間の根源的なメンタリティが統合され、象徴されているのではないか。そして、ゴーギャンは、誰よりもそのことを知っていた。

 

ゴーギャンは、古代に注目した。そして、南海の孤島に伝わる神話を読み、自分の作品に反映させたのです。その方法に間違いはないと、私も思うのです。やはり、私たちのメンタリティのルーツは、古代にある。そして、古代の芸術や神話の中に、現代人が忘れてしまった何か、大切なものがある。その謎を解く鍵、ゴーギャンが追い求めていたのは、それだと思うのです。

 

この章、続く