文化領域論

(No.196 ~ No.228)

No. 219 第11章: 現在事実、記号、そして情報(その3)

 

思うに法律学というのは、過去の事実を見ている。例えば、殺人という事実が発生する。そんなことをしてはいけないということで、法律が作られ、殺人罪が規定される。かつて、そんな罪人はみんな死刑にしてしまえ、という考え方もあったのでしょうが、殺人事件と言っても様々なケースがある訳で、例えば不治の病に苦しんでいる家族を安楽死させるような事例もある。想像力を発揮して、こういう場合まで死刑に処するのはかわいそうだ、と考える。そして現代社会においては、裁判所が量刑を決める。そもそも裁判というのは、過去の事実を対象としている。民事でも刑事でも、ある出来事があって、そこに登場する人物の行為が吟味される。だから、法律家には想像力なり、論理的な思考力というものが要求される。そして、法律の世界というのは、“静的”だと言えます。

 

では、現在事実に直面する“動的”な分野は何か、と考える訳ですが、それは経済ではないでしょうか。株価や為替レートは刻々と変化し、経済はグローバル化し、科学技術の進歩によって生み出された新商品も、政治や軍事に関する動向も、経済は全てを飲み込んで行く。現在の経済界においては、情報が重要であり、膨大な量の記号が情報を構成し、そして消費されていく。

 

ここに“情報の時代”と呼ばれる現代の、そして現代人の課題があるのではないか。すなわち、経済の規模は拡大し、複雑化し、人間の認識能力を超えてしまったのではないか。

 

いくつか、例を挙げて考えてみましょう。まず、シンギュラリティ。以前、このブログでも取り上げましたが(No. 168~No. 169)、これは人工知能に関する技術の進歩に伴い、将来、人口知能の能力が人間の能力を超えるのではないか、そういう技術的特異点がやって来る、という予測のことです。私としては、人間の心というのは複雑で非合理なものであるから、ロボットが心を持つようなことはない、と考えています。しかし、人口知能やロボットが人間に代わって仕事をする、人間の仕事が激減する、という事態は起こり得ると思うのです。例えば、人間が優秀なロボットを作る。そして、そのロボットが、人間の手を借りずに更に優秀なロボットを作り出す。そういうことも、起こり得るのではないでしょうか。すると、そのロボットが何故、そんなことができるのか、どういうロジックになっているのか、最早、人間には理解できない。SF映画のような事態が、現実になる日がやって来る。既に、ディープラーニングという手法によって、人口知能は、自ら学習する能力を獲得している。現実は、もうそこまで来ています。

 

次の事例として取り上げたいのが、ベーシックインカム。シンギュラリティが起こって、人間の仕事が激減すると、失業者が社会に溢れかえり、消費が低迷する。すると、経済が回らなくなり、企業も倒産する。それでは困るので、国民に一律、最低限の生活を維持できる程度の金額を分配しよう。これがベーシックインカムという制度です。働かなくてもお金がもらえる。現役時代の私であれば、これはもろ手を挙げて賛成したでしょう。しかし実際には、そんなに甘いものではない。フィンランドで実験的に導入されたようですが、その際の支給額は、日本円換算で月額6万8千円だったそうです。

 

ベーシックインカムが導入された場合、いわゆる失業保険はなくなる。年金もなくなる。では、国民保険は? 制度設計にもよるのでしょうが、これはもう、疑問だらけです。しかし、ベーシックインカムは、小池百合子氏が希望の党を立ち上げた時の公約になっていましたし、現在も国民民主党では、この制度を検討しています。

 

ネット記事の中には、シンギュラリティに伴う大量失業時代が5年後には始まる、とするものもあります。他方、現在、団塊の世代が一斉に引退しており、人手不足は今後、一層深刻化するという意見もあります。どちらの意見が正しいのか、私には分かりません。

 

3番目の事例として、プライマリーバランス基礎的財政収支)。まず、日本は借金大国で、子や孫の代まで借金を先送りしてはいけない、だから増税が必要なのだ、という説があります。この説は、安倍政権や財務省が唱えています。この話は良く聞きますし、私も、最近まで信じていました。しかし、異論もあるようです。すなわち、日本は借金大国ではないし、現時点で増税すべきではない、とするものです。リクツはこうです。まず、日本国政府には税収がありますが、毎年、それでは賄い切れない額の支出をしている。不足額は国債を発行し、金融市場(銀行、証券会社、個人投資家など)から調達している。しかし現実には、政府が発行した国債の大半は、直ちに日銀が市場から買い取っている。(これを買いオペという)その額は、450兆円まで膨らんでいる。すなわち、政府の赤字は1000兆円程度あるが、その半分程度の債権者(貸主)は日銀なのである。そして、日銀の筆頭株主は政府であり、言わば政府が親会社、日銀は子会社という関係にある。従って、政府は日銀にこの借金を返済する必要がないし、政府と日銀を連結決算すれば、全体として政府は、すなわち日本国の財政は、極めて健全な状態にある。

 

いかがでしょうか? 私も最初は半信半疑でしたが、聞けば聞くほどこちらの説、すなわち日本の財政は健全で増税の必要はない、という説の方が正しいように思えてきました。

 

シンギュラリティ、ベーシックインカムプライマリーバランスと、3つの例を挙げましたが、これらの事項について認識し、自らの意見を持っている人というのは、何パーセント位おられるでしょうか? これらにグローバル経済の現況などを含めて考えますと、実は、ほとんどの人が理解していないのではないか? (もちろん、私も理解できていません。)

 

私たちの祖先である原人は、200万年前に道具を使い始め、180万年前には火を使いこなすようになりました。そして、20万年前にアフリカでホモサピエンスが誕生し、7万年前には、複雑な文法を持つ言語が発明された。これら文化の歴史を通じ、人々は現実世界を認識しようと努め、自然や物に働き掛けてきた。そして人類は、無限に拡張を続ける情報ネットワークやグローバル経済という世界を構築した。しかしその規模は、遂に人間の認識能力を凌駕してしまった。人間は自然界の原理を理解したものの、皮肉にも人間自らが作り出した世界の原理を見失ってしまった。これが、現代という時代における本質的な課題ではないでしょうか。

 

経済学者は、科学を理解できない。科学者は法律を知らない。法律家は、芸術に興味を持たない。芸術家は・・・という具合で、現代社会の全てを理解している人というのは、存在しない。そういう時代になった。別の言い方をしますと、現代人というのは、全員が何らかの形で疎外されている。

 

すると、どういうことが起こるのか。一つには、昔に戻ろう、という人たちが出てくる。戦前の国家に戻そうというのが、日本会議の人たちだと思います。いやいや、もっと昔の神の世界に戻そうと考えたのが、イスラム国の人たち。

 

こんな訳の分からない世界に生きるのは嫌だ、もう余分な情報はいらない、と考えた人たちは、引きこもりになり、ニートになる。最近、引きこもっていた青年たちが、過疎の村で集団生活を始めたという例もあるそうですが、これは一応、理にかなっている。

 

3番目の類型として、閉鎖系の世界に浸ろうというのがある。私が、このブログで何度か主張してきたのは、このパターンなんですね。すなわち、自らの認識の及ぶ世界を“環世界”と言いますが、もう何が何だか分からない世界のことは置いておいて、環世界を築け、情報を遮断して閉鎖系の世界で生きよう、という立場です。少年たちが特定のサッカーチームに夢中になったり、少女たちが特定のアイドルグループに興味を持ったりするのも、実は、彼らなりに環世界を築こうとしているのではないか。このように考えますと、彼らに好奇心の射程距離を伸ばせ、と言うのは酷なような気もしてきます。

 

心理学上、リミット・セッティングという言葉があります。“境界線を作る”ということです。例えば、ユング派の治療で用いられている箱庭療法。これは箱という器によって、境界が設定されている。絵画であれば、キャンバスによって、絵の中と外の境界が設定されている。それでも飽き足らず、キャンバスを額縁に入れて、境界を強調する場合もある。野球やサッカーのスタジアムというのは、その建物が外界との境界になっている。相撲には土俵があり、プロレスにはリングがある。全て、リミット・セッティングではないか。すなわち、境界を設けて、外界とは区別される狭い空間を作り出すことによって、人間が認識しやすいようにしている。そして認識できれば、人は安心する。

 

この章、終り