文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 221 第13章: ポピュラー音楽の潮流(その1)

 

文化は伝播し、融合することによって進化しますが、それがどのようなステップによるのか。この点を考えるには、音楽、特に人々の人気をビビッドに反映するポピュラー音楽を中心に考えると、分かり易いと思うのです。

 

この分野においては、世界中で、日々無数の新人がデビューし、そして消えていく。そこに働いているのは、記号原理だと思います。すなわち、まず記号鮮度という問題がある。人々はひたすら新しい刺激を求めている。そして、記号強度。すなわち、人々はより強い刺激を求めている。そんな世界には、どんな歴史があったのか。そして、ポピュラー音楽は、どんな地点に到達したのか。

 

世界には様々な音楽が存在しますが、本稿では主としてアフリカ音楽、ブルース、ジャズ、ゴスペルの4種を取り上げます。これで、傾向と概ねの歴史を把握することができそうだと思っております。

 

1.アフリカ音楽

 

前にも少し書きましたが、YouTubeにはアフリカの音楽が沢山アップされています。その中で最もシンプルなものは、打楽器のみによる演奏です。多く使用されているのは、ジャンベと呼ばれるもので、木製の樽のような胴体にヤギの皮を張ったものです。ラテン楽器のコンガとよく似ています。これを足の間に挟み、皮の表面を手で叩く。しかし動画によっては、倒れている木の断面を叩いている人もいました。これは楽器と呼べませんが、人間が物を使って音を出すという意味では、最も原始的な方法ではないでしょうか。これが、アフリカ音楽の起源だと思います。

 

もう少し複雑なものとしては、リズムに合わせて人々が踊る、というものがあります。ちょっとした広場や路上に集まって、人々が直径10メートル程の円を作る。我こそはと思う者が円の中心に登場し、激しい踊りを披露する。踊り手は、次々に交代される。これはちょっと、楽しそうです。これが2番目の類型ですが、まだ、歌はありません。

 

リズムに合わせて路上で歌っている動画は確認できていませんが、音源としては、打楽器に合わせて歌うという類型が存在します。歌というのは、音階と歌詞によって構成されますが、この音階というのは、打楽器のみによっても表現され得るのではないかと思います。すなわち、それぞれの打楽器が醸し出す音には音程がある訳で、複数の打楽器を順番に鳴らせば、音階を奏でることが可能となる。例えば木琴という楽器がありますが、これは打楽器によって音階を奏でるものです。歌詞の内容は私には理解できませんが、多分、シンプルなものでしょう。

 

第1類型・・・リズムのみ
第2類型・・・リズム + 踊り
第3類型・・・リズム + 踊り + 歌

 

すなわち、私の見立てとしてはまずリズムがあって、それに合わせて踊る人が現われ、その後、歌が生まれた、ということです。なお、注目すべき点は、アフリカ音楽においては和音が存在しない、若しくは和音が強調されない、ということです。

 

YouTubeでも、現代のテクノロジーによって録音されたアフリカ音楽を聞くができます。人によっては退屈だと感じるかも知れません。しかし、私は素晴らしいと思います。もし、聞かれたことがなければ、1度、試してみることをお勧めします。「アフリカ音楽」で検索すれば、無数の動画がヒットするはずです。

 

2.ブルース

 

アフリカに住んでいた無数の黒人が、奴隷としてアメリカに連行された。それはもう、筆舌に尽くしがたい悲惨な行為だった。たいした食料も与えられず、アフリカから船でアメリカに連れていかれた。途中、病気になった者は、生きたまま海に捨てられた。運よくアメリカに辿り着いたとしても、そこには非情な白人がいて、過酷な労働を強いられた。背中がミミズ腫れでデコボコになる程、鞭で打たれた。

 

余談ですが、アメイジング・グレースという有名な曲があります。これを作詞したのは、イギリス人のジョン・ニュートンという人だそうですが、彼は、奴隷船を運営し、巨額の富を築いたそうです。後年、そのことを悔悟し、牧師になった。そして、罪深いことをしたのに許してくれた神に感謝し、その気持ちを歌詞に込めたということです。随分、自分勝手な人ではないか。神が許してくれたと何故、そう考えるのか。私は、そう思いますけれども。

 

さて、奴隷として働かされていた黒人たちは、やがて労働歌を歌うようになる。一般には、綿花を摘む作業だと言われていますが、労働歌というのは、もっと過酷な力仕事を強要された時に誕生するのではないか。

 

どんな労働を強いられていたのかという問題はおくとして、いずれにしても、この労働歌にギターで伴奏を付け、それがブルースになった。

 

録音が残っている初期のブルースマンとしては、ロバート・ジョンソン(1911-1938)を挙げることができます。Love in Vainという曲があって、この曲はこんな歌詞で始まります。

 

Well, I followed her up to the station
With a suitcase in my hand

 

つまり、男が女と別れる。男が女のスーツケースを持って、駅まで送る。そういう場面なんですが、これを現代の日本の状況に当てはめて想像すると、全く意味が分からない。当時のアメリカで鉄道に乗るということは、相当な長距離を移動することを意味しており、かつ、乗車賃だって高額だったはずです。すなわち、これはもう今生の別れ、もう彼女とは一生のお別れだ、ということです。

 

ちなみに、この曲は、ストーンズがそのアルバムLet It Bleedの中でカバーしています。ロバート・ジョンソンは、その他、エリック・クラプトンジョニー・ウィンターにも影響を与えています。

 

ロバート・ジョンソンはギター1本で歌っていましたが、やがてブルースもバンドで演奏されるようになる。そこで、マディ・ウォーターズ(1913-1983)が登場する。彼の代表曲に、I just want to make it love to you というのがあります。日本語では「恋をしようよ」などと訳されることがあるようですが、make loveという用語がありますので、直訳としては「俺はお前を抱きたいだけなんだ」ということになります。

 

これなども、随分、下品な歌詞だなと思われてしまいそうですが、実は、違うのです。歌詞は、次のように続いていきます。

 

俺は、お前を奴隷にしたい訳ではない。
俺は、お前に服を洗って欲しい訳ではない。
俺は、お前の金が欲しい訳ではない。
俺は、お前に料理をして欲しい訳ではない。
俺は、ただお前を抱きたいだけなんだ。

 

当時、既に奴隷制は廃止されていました。そして、黒人女性には、白人の家の家政婦の仕事があった。なんとか食べていける。一方、黒人の男はと言うと、まったく仕事がない。そこで、彼らが生きていく術としては、女のヒモになるしかなかった。当時の黒人男性としては、女に捨てられる、女に逃げられるというのは、すなわち死活問題だった訳です。そういう時代に、この歌は生まれた。俺は、金や生活のためにお前を必要としているのではない。お前のヒモになりたい訳ではない。俺は、お前を本当に愛しているんだ、という意味なんです。とても純粋なラブソングなんですね。

 

ブルースマンたちは、純粋な彼らの気持ちを歌に託した。時代背景を含めて考えますと、そこには普遍性があると思います。

 

やがて、ギターの奏法はブルースと同じで、リズムをアップテンポにしたロックンロールが誕生する。その始祖は、チャック・ベリー(1926-2017)だと言われています。

 

レコードを通じて、これらアメリカの黒人音楽にイギリスの若者が共感した。そして、1962年にビートルズ(1962-1970)とローリング・ストーンズ(1962-活動中)がデビューを果たす。

 

1969年にウッドストックでフェスティバルが開催され、ロックは絶頂期を迎えた。しかし、その後、衰退期に入る。1970年にビートルズが解散する。人によって評価は異なりますが、私の意見としては、ストーンズの絶頂期は、ギタリストのミック・テイラーがいた時期までなんです。そして、ミック・テイラーは、1974年にストーンズを脱退したのです。

 

1975年を迎えると、既にビートルズは無く、ストーンズも絶頂期は過ぎた。すると、ロックファン最後の砦としては、レッド・ツェッペリン(1968-1980)しかなくなった。だから私などは、ツェッペリンには頑張って欲しいと、それはもう心の底から願っていたのでした。しかし、後期になるとバンドのリーダーで、ギタリストのジミ―・ペイジがドラッグで体調を崩した。そこで、他のメンバーが中心となって、いくつかの作品が作られた。しかし、それらは明らかにジミ―・ペイジの、すなわちツェッペリン本来のサウンドとは異なっていた。そこへもってきて、1980年にバンドのドラマーであるボンゾことジョン・ボーナムが急死し、ツェッペリンは燃え尽きるように解散した。

 

そして、私の愛したロックミュージックは、音楽シーンの中心から転げ落ちたのでした。

 

この章、続く