文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 222 第13章: ポピュラー音楽の潮流(その2)

 

3.ジャズ

 

1900年代に、ジャズはニューオーリンズで生まれた。白人の楽団が、壊れた楽器を廃棄したところ、黒人たちがこれを拾って遊び始めた。やがて、見かねた白人が、黒人たちに楽譜の読み方を教えたとも言われています。

 

ニューオーリンズのジャズは、例えば「聖者の行進」のように、明るく楽しい音楽だった。ニューオーリンズには、巨大な売春街があって、多くの人々が集まっていた。当時、売春宿のことをjassと言っていたようで、これが後のjazzの語源になったと言われています。

 

西洋のクラッシックと呼ばれる音楽には、ほとんどリズムがないので、音楽の進行を統率するために、指揮者が必要だった。何故、このような音楽が生まれたのか、私には不思議でなりません。ただ、使用する楽器には特徴がある。クラッシック音楽において、頻繁に使用されるバイオリンやチェロなどは、弓で弾きます。すると、音の立ち上がりが、曖昧になる。これらの楽器は、明らかにリズムを主体とする音楽には適しません。リズムに合わせて、いきなりバンと音を出すには、何かを叩く、弾く、そういう楽器が適しています。

 

当初、黒人たちは白人がやっていた音楽を真似したのだろうと思います。そして、自分たちが得意とするリズムをそこに融合させた。この瞬間、ヨーロッパの和音に関する文化と、アフリカのリズムが、アメリカ大陸で出会ったことになります。

 

黒人たちは、急速に楽譜や和音に関する知識を身に付けていった。ところが、売春禁止法なるものが、ニューオーリンズで施行された。売春宿は廃業し、それを目当てにしていた人々は、街を訪れなくなった。困ったジャズ・ミュージシャンたちは、楽器を持って、アメリカの各地に散って行ったそうです。結果としてこの出来事が、全米にジャズという音楽を流行させるきっかけになったと言われています。

 

1940年代になると、トップクラスのジャズ・ミュージシャンたちは、和音の進行に合わせて、管楽器を猛スピードで吹きまくるという技術を確立していました。それはもう、神業と言える。このようなスタイルで演奏する音楽はビバップと呼ばれ、モダンジャズの基礎をなしたのです。サックスのチャーリー・パーカーと、トランペットのディジー・ガレスピーが有名です。

 

そこへ、後年、ジャズ史を築くマイルス・デイビス(1926-1991)が絡んでくる。イリノイ州生まれのマイルスは、歯科医の息子で、経済的には大変恵まれた環境で育ったそうです。そして、プロのミュージシャンを目指したマイルスは、ニューヨークにある名門ジュリアード音楽院に入学します。しかし、マイルスはビバップに惹かれていた。昼間は、ジュリアードで講義を受け、夜はジャズ・クラブへチャーリー・パーカーの音楽を聞きに行った。すぐにマイルスはチャーリー・パーカーの弟子となり、ジュリアード音楽院は中退してしまいます。

 

チャーリー・パーカーがマイルスを弟子として認めたのには、2つの理由がありそうです。一つには、以前共演していたディジー・ガレスピーのテクニックは既に完成しており、同じバンドで演奏すると自分が目立たない。一方、未熟なマイルスと共演すると、自分のテクニックが輝いて見える。二つ目の理由は、マイルスの元へ実家から送られてくる仕送りだった、と言われています。ドラッグ漬けになり、女好きだったチャーリーには、お金がいくらあっても足りなかった。そして、チャーリーの影響で、マイルスまでドラッグ漬けになってしまったのでした。

 

マイルスは、結局、ビバップの技術を完全には習得できなかった。また、チャーリーの元にいてはドラッグで死んでしまう。そこで傷心のマイルスは、チャーリーの元を去るのですが、彼には逆転の発想があった。熱狂的なビバップとは反対に、クールな音楽を目指したのでした。そして、“クールの誕生”というアルバムを発表するのですが、これが当たった。ビバップに飽きていた聴衆は、一気にマイルスを支持する側に回ったものと思われます。やがてマイルスは、“’Round About Midnight”というアルバムを制作します。これもビバップとは正反対の発想だったのです。すなわち、ビバップのように楽器を吹きまくっていると、一つの音を伸ばすことができない。ビバップには、ロングトーンというものが存在しなかった。そこでマイルスは、音楽にロングトーンを持ち込んだのです。ロングトーンは単純なようであって、実はそうではない。そこには、音の深さや味わいがある。かすれた音がひっそりと消えていく。マイルスがこの作品を発表した時から、ジャズには、都会で、孤独な男が、夜に聞く音楽、というイメージが定着したと言われています。

 

その後もマイルスは幾多の困難を乗り越え、快進撃を続けますが、1960年代の後半に、最大の危機を迎えます。ライバルは、ロックだった。大して演奏もうまくない白人の子供たちが、音楽シーンを席巻した。当然、ジャズのレコードは売れなくなった。

 

当時のジャズは、客が酒を飲みながら、又は食事をしながら聞く音楽だった。しかし、ロックのコンサートでは、大勢の観客がミュージシャンに注目し、真剣に聞き入っていた。後年マイルスは、それが羨ましかった、と述べています。また、ロックを聞きながらマイルスは、「俺ならもっとうまくやれる」と思ったそうです。

 

そしてマイルスは、ロックを批判するどころか、ジャズとロックの融合を目指し始めた。電気楽器を採用し、ロックのようにリズムを強調し始めた。そして、BGMだったジャズを芸術の域に高めたのでした。

 

ただ、昔からのファンからは、批判の声も上がった。マイルスが何をしているのか、それを理解できる人は少なかった。一方、ロック世代の若者は、マイルスの新しい音楽を無条件に受け入れたのでした。誰もがマイルスに注目し、マイルスの動向について、人々は意見を戦わせるようになった。マイルスの動向が、すなわち次の音楽シーンの動向となる。誰もが、そう思うようになった。

 

1972年、マイルスは“On The Corner”という作品を発表する。これは、リズムが強調された、と言うよりは、ほとんどリズムだけの作品でした。誰もがとまどった。「マイルスは一体、何処へ行ってしまったんだろう? 俺たちの音楽は、一体どうなってしまうのか?」そういう不安にかられたファンが多かったものと思います。私も、その一人でした。しかし、最近、YouTubeでアフリカ音楽を聞いていてふと思ったのでした。「この音楽、いつか聞いたことがある!」 そう、リズムだらけのアフリカ音楽、それはマイルスの“On The Corner”に似ていたのです。当時のマイルスは、アフリカ音楽への回帰を目指していたのかも知れません。

 

1991年にマイルスが死ぬと、ジャズは進化の歩みを止めてしまった。

 

4.ゴスペル

 

ポピュラー音楽を語るためには欠かせないもう一つの系譜が、ゴスペルです。

 

多少、想像も含めて記載します。奴隷制が廃止された後も、白人の黒人に対する弾圧は続いた。経済的な弾圧もあれば、社会制度的な弾圧もあった。黒人は、白人と同じバスには乗れない。同じプールには入れない。だから、未だにアメリカ黒人の水泳選手というのは、ほとんどいない。こういう有形無形の弾圧の中に、宗教的な弾圧というものがあった。キリスト教徒である白人は、黒人にもキリスト教を信仰するように圧力を掛けた。しかし、自分たちと同じ教会に黒人を入れることは嫌がった。そこで、黒人教会なるものが誕生する。

 

黒人教会の建物にも十字架が掛けられている。白人から詰問された場合、黒人は「ここはキリスト教の教会です。真面目にキリスト教の布教に努めています」と答える。白人としては、それ以上、踏み込めない。

 

極度の貧困で、聖書を買う金がない。場合によっては、教育を受けていないため、字を読めない者だっている。牧師にしたって、その教育レベルは怪しい。黒人教会とは、そういう環境下にあったのではないか。では、黒人教会でどういうことが行われていたのか。牧師が説教をする。聖書の一節などを読み上げる。その調子は徐々に高揚する。すると、頃合いを見計らって、楽器が合いの手を入れる。次第に、信者たちも興奮してくる。そこで、歌い出す。あたかも牧師がリードシンガーで、信者たちはコーラス隊と化す。この歌が、ゴスペルの起源となる。

 

しかし現実は、もっと多様だったと思います。1年程前でしょうか。地上波のテレビで見たのですが、黒人教会に超能力を持つ少女が登場する。彼女が手をかざすと、歩けなかった人が、突然、歩き出す。すなわち、黒人教会においては、過去、様々な原始宗教的な儀式が行われてきたのではないか。そこには、預言者や呪術師が登場し、悪魔祓いの儀式が執り行われ、白人が邪教と蔑視するような原始宗教的な信仰が、根を張っていたのではないか。そして、そういう信仰が、黒人の音楽に対する情熱なり、原動力となってきたのではないか。

 

そう言えば、ブルースの歌詞にも悪魔は、頻繁に登場するし(Me And The Devil Blues / Robert Johnsonなど)、ジミ・ヘンドリックスは魔術やヴ―ドゥ教に興味を持っていた。やはり、原始宗教なり古代のメンタリティが、芸術を生み出すのではないか。

 

そもそもキリスト教は、熱狂することを禁じてきました。熱狂すると幻覚などを見て、それが神だと錯覚され、新たな宗教が生まれてしまうからです。しかし、黒人が生み出す文化は、熱狂するとこから始まる。黒人教会においても、牧師の説教から始まり、楽器が加わり、コーラスへとつながる。コーラスによって感情が高揚すると、自然発生的に、彼らは踊り始めたのではないか。

 

労働歌は、あくまでも働きながら歌うもので、踊ることはできない。ジャズは、楽器を演奏するものなので、これも踊りとは結び付きにくい。ところが、コーラスをしている人というのは、特段の制約がない。歌いながら踊ったとしても、不思議はありません。

 

ゴスペルは、1960年代のモータウンサウンドにつながり、その後のソウルだとか、ファンクになる。1970年代になると、ディスコブームをけん引した。(ディスコとは、黒人教会の現代版ではないでしょうか。)ダイアナ・ロスティナ・ターナー、最近ではホイットニー・ヒューストンなど、優れた歌唱力を持つ女性歌手は、この系統のミュージシャンだと思います。子供の頃から黒人教会で、喉を鍛えていたのではないでしょうか。

 

ところで、ゴスペル系の踊りながら歌うミュージシャンや彼らの音楽には、知性というものが感じられません。例えば、ジェームス・ブラウンのヒット曲に“セックスマシーン”というのがありますが、あきれてしまいます。「お前、何も考えてないだろう。少しは本でも読め!」と言いたくなってしまいます。(当時、ディスコで踊っていた日本の若者たちも、同じレベルだと思いますが。)

 

ただ、知性を要求することのできない黒人教会がその起源にあると考えれば、腹も立ちません。黒人教会とは、あらゆる面で社会から疎外されていた黒人たちが作り出した、共同体だった。そこには、様々な人間がやって来た。読み書きのできない人だって沢山いたに違いない。そういう人たちを含め、全ての人々を受け入れることによって、黒人教会という場所が成立していたのではないでしょうか。