文化領域論

(No.196 ~ No.228)

No. 225 第14章: 原理の発見(その2)

3.概念

 

まず、現象なり事実を発見する。そして、想像力を働かせ、時間の流れに沿って因果関係を考える。そして、多くの事例を見ていると、いくつか共通する事項が発見され、概念が生まれる。チェックポイントと言って良いかも知れません。

 

例えば、私たちの身近な例として、交通事故という現象がある。複数の事例を見ていくと、加害者側の行為の態様が見えてきます。うっかり道路標識を見落としたという場合もあるでしょう。喧嘩がエスカレートして、意図的に轢き殺してしまうような場合だってあります。すると、故意、過失という区分を思いつく。更に細かく見ていくと、過失にも程度があるとか、故意とまでは言えないものの、行為の外形から判断すると、これはほとんど故意と同じと言って良いと思われるようなケースもある。例えば、時速60キロで、歩行者天国に侵入するような場合です。すると、これは未必の故意ということにしよう、と考える。こうして、概念が生まれる。軽い方から列挙すると、軽過失、重過失、未必の故意、故意、ということになります。これが体系というものではないでしょうか。

 

概念というものを最初に思いついたのは、哲学者かも知れません。とにかく、彼らは抽象的な概念について考えるのが好きな人種です。純粋理性とは何か、などとひたすら考える。余談ですが、私は、「カントという人は、随分面倒なことを考えたものだなあ」と思っていたのですが、カントよりも前のデカルトも、似たようなことを考えていたようです。

 

物語的思考の段階においては、この概念というものが登場しない。

 

4.原理の発見

 

概念まで手に入れることができれば、それらの概念を使って、原理を発見することができる。交通事故の事例で、例えば未必の故意は故意と同じ扱いにしようと考える。これは、原理だと思います。

 

我が国の民法709条には、こう書かれています。

 

故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

 

上記の文章には、「よって」という言葉が2回出てきますね。これは、それぞれ因果関係を示すと言われています。最初の「よって」は、故意・過失と権利侵害との因果関係。2つ目の「よって」は、権利侵害と損害との因果関係を意味している。この条文は明らかに概念を用いて、事実を見て、因果関係を特定して、損害賠償に関する原理を創出している。

 

私などは、民法709条を読みますと、ちょっと感動しますが、多分、そういう人は少ない。そこに、すなわち人を感動させるという点において、物語や小説の存在意義があるのだろうと思います。

 

経済学においては「需要と供給の関係で、商品の価格が決まる」ということが言われています。これも原理ですね。

 

ただ、概念を持てば、直ちに原理を発見できるというものではありません。原理を発見するには、仮説を立てる必要があります。上の例をパースのアブダクションに当てはめて考えてみます。

 

市場において、毎日、野菜の価格が変動している。これは何故だろうと疑問に思う。これがアブダクションにおける「驚くべき事実」です。

 

次に、仮説を立てる。需要と供給の関係で価格が決まるのではないか。

 

そして、仮に需要と供給の関係で価格が決まるという仮説が正しければ、野菜の値段が変動するのは当然のことである。そう考えられるので、この仮説は正しい、と証明できる。

 

このような経過を経て、原理は発見されるのだと思います。

 

5.思想

 

原理が発見されても、そこで終わる訳ではない。科学の世界であれば、それが特許となり、新商品の開発などにつながっていく。では、文化の世界ではどうでしょうか。

 

原理が分かれば、近未来を予測することが可能となる。例えば、こういう金融政策を取るとデフレになるとか、こういう政策を取れば、貧富の格差が拡大する、ということが分かってくる。

 

ここまで来て、初めて「かくあるべきだ」という主張が生まれる。この主張のことを「思想」と呼んでもいいのではないでしょうか。

 

この章、終り