文化領域論

(No.196 ~ No.228)

No. 230 憲法の構成要素(その1)

 

そもそも私の疑問は、例えば“絶対王政”と呼ばれる独裁国家が、どのように変遷して今日の日本のような“民主国家”へと変容したのか、ということです。

 

まず、国家とは何かという問題が生じます。一般に「領土、国民、統治権(主権)が国家の三要素」であると言われています。この点を前提に考えますと、領土と国民は、“絶対王政”でも“民主国家”にも存在し、差異はない。すると、残る“統治権”が変容したのだ、と言える。

 

絶対王政”の場合、統治権は王様が持っていた。その権限の内容はどうかと言うと、まず、対内的には、次の権限を持っていたと想定できる。

 

1. 国民を心理的に拘束する権限
2. 国民を身体的に拘束する権限

 

また、他国との関係を考慮しますと、

 

3. 国を代表する権限

 

・・・ということも考えられます。誰か、代表者がいなければ、他国と交渉することができません。この点をもう少し考えますと、国家は国民からも、他国からも国として認知してもらう必要がある訳で、“象徴”という問題が出て来る。記号原理に照らして言えば、人は記号なくして実体を認識できない訳で、この記号という言葉をもう少し丁寧に言うと“象徴”ということになります。ある国があったとしても、その国を表わすシンボルがなければ、人々はその国を認識できない。そこで、国名だとか、国旗、国歌などが創出される訳ですが、これらだけだと、どうにも効力が弱い。そこで、国を代表し象徴する人物が必要となる。それが、ヨーロッパにでは国王になり、日本では天皇になった。

 

このように考えますと、“絶対王政”というのは、悪いイメージしかありませんが、国家という集団の初期段階においては、必然性、合理性のあるシステムだったようにも思います。

 

ヨーロッパにおいて、上記1の「国民を心理的に拘束する権限」は、「王権神授説」によって確立されたと言われています。すなわち、この人は神様によって選ばれたので王様なのだ、という宗教を基礎にしたロジックです。そして、2の「国民を身体的に拘束する権限」は、武力と言い換えても良いと思います。

 

すると、そもそも国家権力とは何かと言うと、次の要素に集約できるのではないか。

 

心理的拘束・・・宗教・・・(想像系)
身体的拘束・・・武力・・・(競争系)

 

そして、上記の要素を背景として、国を表わす象徴性(記号系)という概念が生まれる。王権神授説を論拠とする中世ヨーロッパにおける“絶対王政”国家は、王様が全ての権力を掌握していましたが、日本においては、天皇と将軍に権力が分散されていた。しかし、本質的に国家権力の構成要素として、違いはないと思います。この国家権力というものは、いつ暴れ出すか分からない野獣のようなものですが、それがないと国家という人間集団は存在し得ない。そこで、この国家権力というものを一度解体し、再構築しようと試みたのが近代の憲法である、と言えるのではないでしょうか。

 

では、日本国憲法には、どういうことが書いてあるのか。

 

まず、第1章に「天皇」とある。正に、象徴性の問題から説き明かしているんですね。そして、大きな問題として、立憲主義ということがある。立憲主義について、文献1には次のように記されています。

 

立憲主義とは, 政治は憲法に従ってなされなければならないという思想をいうが, そこでいう憲法はいかなる内容の憲法でもよいのではなく, 人権保障と権力分立の原理に支えられたものでなければならないと考えられたのである。」

 

思うに、人権保障というのが目的であって、そのための手段として権力分立があるのではないか。従って、この2つの概念は表裏一体をなし、立憲主義という概念の実質だと思われます。このブログのNo. 147から、抜粋します。

 

憲法学者の長谷部恭男氏は、宗教改革以降の歴史を次のように説明しています。

 

宗教改革があって、宗派が別れ、宗教戦争が始まった。対立する宗派が、血で血を洗う殺し合いを続けた。やがて人々は、そんな殺し合いが嫌になった。そこで、死んだ後に天国に行けるかどうかという宗教上の問題と、生きている間の現世を分けて考えることにした。そして、現世を更に公私に区分けした。私的な空間、例えば自宅にいる間は自由に暮らして良い。一方、公の空間にいる間は、一定のルールに従うのが良いだろう。人々は、そう考えた。これが立憲主義の起源である。」

 

立憲主義の起源は、マルティン・ルター宗教改革1515年)まで遡る。やはり、憲法には壮大なドラマがある!

 

さて、宗教改革の概略について、少し私の理解を述べてみます。まず、当時のヨーロッパはキリスト教カトリックという宗派が支配していた。カトリックは、ローマ法王を頂点とするピラミッド方の序列組織を持っている。そして、聖書に対する解釈も、この序列に従ってなされていた。しかし、組織は堕落し、高額な免罪符を販売した。免罪符を購入すると、天国へ行けるということだった。すると、「貧乏人は天国へ行けないのか」という主張が起こる。そして、カトリックに対する反対勢力として、プロテスタントが生まれる。プロテスタントは、聖書の解釈というのは個々人が行うべきだ、というものだった。同じキリスト教ではありますが、プロテスタントの方が、ちょっとだけ民主的なんです。そして、カトリックプロテスタントという図式が出来上がり、その争いは戦争にまで発展した。

 

さて、立憲主義の起源について、少し私なりに考えてみます。当時の人々は、公的な領域と私的な領域ということを考えた。そして、公的な領域から、宗教を排除しようとした。このアイディアは、後の政教分離につながる。また、私的な領域では何を考えても良いという発想は、後の思想・信教の自由という概念へと発展する。当時としてはコペルニクス的転回だったのではないでしょうか。

 

ちょっと、復習しましょう。人権保障と権力分立を基礎とした憲法に従って、国家を運営しよう。これが、立憲主義だということになります。

 

(参考文献)
文献1: 立憲主義日本国憲法 第4版/高橋和之有斐閣/2017