文化認識論

(世界を記述する。Since Oct. 2019)

No. 241 憲法の声(その8) ホッブズの平和主義

 

ホッブズの思考は止まらない。前回の原稿に書いた通り、まずホッブズは、人間の体力、知力に大差はなく、人間は平等だと考えた。そして、平等だから、戦争が起こると主張する。仮にAさんが畑を耕し、農作物を収穫していたとする。しかし、人間の体力、知力に大差はないので、そこへBとCの2人がやって来て、Aさんの収穫物を強奪しようと思えば、それは可能ということになります。

 

“この相互不信から自己を安全にしておくには、だれにとっても、先手をうつことほど妥当な方法はない。”

 

そして、戦争が始まる。システム化された社会なり国家が成立する以前の状態を“自然状態”と呼びますが、ホッブズは自然状態について“各人が各人の敵である戦争”の状態であると考え、次のように説明しています。

 

“そのような状態においては、勤労のための余地はない。なぜなら、勤労の果実が確実ではないからであって、したがって土地の耕作はない。航海も、海路で輸入されうる諸財貨の使用もなく、便利な建築もなく、移動の道具およびおおくの力を必要とするものを動かす道具もなく、地表についての知識もなく、時間の計算もなく、学芸もなく文字もなく社会もなく、そしてもっとわるいことに、継続的な恐怖と暴力による死の危険があり、それで人間の生活は、孤独でまずしく、つらく残忍でみじかい。”

 

およそ、考えつく人間らしさの全てが奪われる。これが、人間の自然状態であるとホッブズは考えたのです。そして、このような状態にあっては、正義も悪も存在しない。そこにあるのはただ、人間が生きようとする権利だけです。例えば、飢餓状態の人が、生きるために畑の野菜を盗んだとする。だからと言って、その人が罪を犯したことにはならない。何故なら、その人には生き延びる権利があるからだ。また、例えば自分が殺されそうになる。その時、武器を持って先に相手を殺してしまった。それでも、その人を責めることはできない。何故なら、その人にも生きる権利があるからだ。このような権利を、ホッブズは“自然権”と呼びました。

 

自然状態(戦争状態)にあっては、人は自然権(生き延びる権利)を持つ。これが、ホッブズにとって、重要なテーゼとなったのです。

 

しかし人間には、戦争は嫌だ、平和に暮らしたいと思う傾向もある。その誘因としては、死への恐怖、快適な生活に対する希望、そして理性がある。そこで、上に記したテーゼは、次のように発展するのです。

 

“各人は、平和を獲得する希望があるかぎり、それにむかって努力すべきであり、そして、かれがそれを獲得できないときには、かれは戦争のあらゆる援助と利点を、もとめかつ利用していい。”・・・第1の自然法

 

上記の考え方を、ホッブズは“第1の自然法”と呼んだのです。簡単に言い換えてみますと、紛争が発生した場合には、まず、話し合え。話し合って解決できない時には、武器を持って良い。こういうことだと思いますが、ホッブズは“第2の自然法”と呼ぶ以下の原理に従って、平和主義へと一歩踏み出します。

 

“人は、平和と自己防衛のためにかれが必要だとおもうかぎり、他の人々もまたそうであるばあいには、すべてのものに対するこの権利をすすんですてるべきであり(以下略)。”・・・第2の自然法

 

「この権利」というのは前後の脈絡からして、「武器を持つ権利」のことだと思われます。すなわち、「他の人々もまたそうであるばあい」には、積極的に武器を捨てろ、とホッブズは言っている。(不明瞭な指示代名詞が多く、難解です。)これが当面、ホッブズが到達した平和主義であると言えます。

 

しかし、自然状態における自然権(武器を持つ権利)と、積極的に武器を捨てろとする第2の自然法が、真っ向から対立しているように思えます。更に、第2の自然法における「他の人々もまたそうであるばあい」とは、一体、どういう場合なのか、判然としません。

 

これらの答えは、リヴァイアサン第2部(コモン・ウェルスについて)で明らかにされるものと思います。

 

文献11: リヴァイアサン(1巻~4巻)/ホッブズ岩波文庫/1954