文化認識論

(世界を記述する。Since Oct. 2019)

No. 242 憲法の声(その9) ホッブズのコモン・ウェルス論

 

領土をめぐる紛争、カトリックプロテスタントの戦い、魔女狩り、拷問、そして奴隷制などに揺れ動くアナーキーな社会情勢の中で、ホッブズはそれでも人々には、生きる権利があると考えた。そして、人々が生き延びるためには、人々自身が武器を捨てる必要がある。そこで、ホッブズが考えた社会のモデルが、コモン・ウェルスだった。コモン・ウェルスとは、「一人格に統一された群衆」を意味する。

 

人々は主権者に対し、彼らの生命の安全を確保するよう求める。主権者は、人々の求めに応ずることを約束する。そして人々は、彼らの安全を確保するために必要な権力を主権者に付与する。人々と主権者との間のこのような関係をホッブズは“信約”と表現したが、その意味は後世の“契約”という言葉に置き換えて差し支えない。すなわち、ホッブズのこの発想が後世の“社会契約論”へとつながる。

 

ホッブズのコモン・ウェルス論は、とにかく主権者に強力な権力を与えるべきだ、と考える点に特徴がある。強い権力がなければ人々を統治することができない、というのがその理由である。そして、強大な権力を持つ者が統治することによって、その人間集団はあたかも一人の人格を持つ巨大な生命体のように、十分な機能を発揮することが可能となる。この機能的で強固な人間集団を、ホッブズは聖書に出て来る海獣リヴァイアサンに例えた。

 

ホッブズは、権力を集中させるべき主権者について、以下の3種類を想定した。

 

君主政治・・・一人の人間に権力を集中させる。
民主政治・・・人々の中から代表者を複数選任する。
貴族政治・・・特定の人間集団(貴族など)の中から、複数の代表者を選任する。

 

ホッブズは、理論上、上記の3種類しかありえないと述べている。そしてホッブズは、最も強固な統治権力を実現するためには、君主政治が好ましいと主張した。民主政治や貴族政治では、意見の分かれることが想定される。その際は、多数決によって決することになるが、そもそも複数の意見が存在するということ自体、その権力が弱体化するリスクを持つ、とホッブズは考えたのではないか。

 

このコモン・ウェルス論だけを見ていくと、確かにそこにはナチズムのような全体主義につながる萌芽を見て取ることができる。人々の自由は制限され、ひたすら主権者に権力を集中させよ、というのがホッブズのスタンスである。人々には思想の自由も表現の自由も与えられない。宗教的な価値観も、主権者の前では無力化される。しかし、別の章を含めて考えれば、ホッブズの立場が全体主義にあるという判断には違和感がある。例えば、第1部14章の後半には、現代日本民法のようなことが記されている。第2部26章には訴訟法が、そして27章には刑法のようなことが書かれている。これは一体何を意味しているのか? 当時のイングランドやフランスには、まだ法律の体系というものが確立されていなかったのではないか。そこでホッブズは、コモン・ウェルス論を展開する傍ら、そもそも法律とはどうあるべきか、そういう些末なことも考えざるを得なかったのではないか。

 

コモン・ウェルスだ、リヴァイアサンだ、という大きな話もあって、それはそれで重大な論点ではありますが、現代日本に生きる私の目からすれば、何はともあれ、ホッブズは法律によって社会なり国家なりを運営すべきだ、と考えた最初の人間だったのではないか。すなわち、法治主義の提唱者だったのではないか、と思えて来るのです。

 

さて、ホッブズのコモン・ウェルス論はここら辺にして、彼の思想的な背景について、少し考えてみましょう。ホッブズとて、いきなり彼が全てのことを考えた訳ではなく、彼以前の思想家なり文化の影響を受けているのです。

 

まず、「人には生きる権利がある」という素晴らしい発想ですが、この点、オランダの法学者、フーゴ―・グロティウス(1583~1645)の方が先に、その主著「戦争と平和の法」の中で述べている、という指摘があります。(文献8)

 

更に、ホッブズの国家論(コモン・ウェルス論)には、古代ギリシャの哲学者エピクロス(紀元前341~紀元前270)の影響があるとの指摘もあります。(文献6)

 

また、法律の起源については、文献6に次の記載がある。

 

東ローマ帝国(別称ビザンツ帝国)では、5世紀にテオドシウス2世(在位408~450)が「テオドシウス法典」、6世紀にはユスティニアヌス帝(在位527~565)が「ローマ法大全」(ユスティニアヌス法典を編纂 以下略)”

 

多分これらの法典において、法律の基本的な考え方が示されており、ホッブズはかかる知識を持っていたものと推測されます。

 

次に、ホッブズと同時代を生きていた哲学者に、あのデカルト(1596~1650)がいます。二人は、ホッブズがフランスに亡命中、交流があったそうです。

 

余談になりますが、デカルト方法序説の中で提示した「我思う、ゆえに我あり」というテーゼについてですが、これはそのこと自体が大切なのではなく、きちんと考えれば疑いのない真実に辿りつくことができる、ということをデカルトは言いたかったのだ、とする説があります。そう言われてみると、納得できるような気がします。

 

続いて、ホッブズは宗教を信じていたのか、という問題もあります。この点、文献6は信じていた、と述べています。他方、文献8は次のように述べています。

 

ホッブズは、実際には無神論者、少なくとも不可知論者であって、特定の教義を人民に教え込み、教化することが主権者の当然の権限だとは考えていなかったものと思われる節があります。”

 

私としても、リヴァイアサンの書きぶりからして、ホッブズ無神論者だったのではないかと思っています。しかし、当時、そのことを表明すると火炙りの刑が待っていた。そこで、ホッブズは、表面上はキリスト教を信じているように装ったのではないでしょうか。

 

ちなみに、リヴァイアサンの3巻~4巻ですが、ここでホッブズカトリック教会の批判を展開しているそうです。しかし、それは私の関心の外にあります。このブログで、宗教に関する検討は、既に十分行ったと思っているからです。

 

では、邪道と言われそうですが、ホッブズの早見表を作ってみましょう。まず、ホッブズは人々の体力や知力に大差はないので、平等だと考えた。これは〇です。また、人々の生きる権利を守るために、とにかく平和を希求した。平和主義という考え方が、こんな風に発生したというのは、ちょっと驚きでした。これも〇です。法治主義という項目も作って、これも〇にしたいと思います。他方、絶対的な権力を持つ君主を想定したので、民主主義という観点から言えば、×になります。また、ホッブズは主権者の権力を強大に保つために、権力を分立させない方が良いと考えた。よって、権力分立も×です。更に、ホッブズは主権者(君主)がその義務を果たさなかった場合の抵抗権も認めていない。よって、×になります。

 

平等主義・・・〇
平和主義・・・〇
法治主義・・・〇
民主主義・・・×
権力分立・・・×
抵抗権 ・・・×

 

蛇足かも知れませんが、文化論の立場から、少し考えてみたいと思います。ホッブズデカルトが同じ時代に生きていた。これは、決して偶然ではない。

 

まず、人間の思考方法は、アニミズム → 融即律 → 物語的思考 というステップを踏んで、進化してきた。この物語的思考というのは、閉鎖系の世界を構築するところに特徴がある。登場人物なり、空間なりを限定して、人間が認識し易いようにする、という意味です。例えば、推理小説なりサスペンスドラマを例にとってみますと、まず、閉鎖系の世界が構築される。例えば、登場人物が同じ企画の旅行に参加する。または、偶然、ある場所に居合わせる。そんな設定がある訳です。そこで、殺人事件が発生する。もともと、閉鎖系の世界ですから、犯人の候補者は限定される。そのため、読者や視聴者は誰が真犯人なのか、と考えることができる。仮にこれが、開放系の世界、例えば渋谷の交差点で誰かに殺された、という設定では話が成り立ちません。犯人と思しき人間が何十人もいる、というサスペンスドラマはありません。犯人の候補者の数は、多分、多くても7人だと思います。心理学の用語で、マジックナンバー7というのがある。これは、人間が認識しやすい物事や人数には限度があって、その数は7だという意味です。

 

ユング派のカウンセラーが実施している“箱庭療法”も閉鎖系の世界を構築して、その中で物語を考える、という方法です。これも、基本的には同じだと思うのです。閉鎖系の世界の中で、物語を考える。聖書やギリシャ神話、その他の民話、童話なども、基本的には同じ構造を持っている。これが、物語的思考の本質ではないでしょうか。

 

ところが、物語的思考によって人間が認識できる範囲には、当然、限度がある。そして、その限度を超えた時代というのがあって、それがホッブズデカルトを生んだのではないか。

 

彼らの時代より少し前、キリスト教徒は十字軍によって東方に進出した。そして、コロンブスアメリカ大陸を発見した。これらの史実によって、ヨーロッパ人が認識する空間的な広がりが生じたことに疑いはない。更に、数学や科学も急速に発達した。ホッブズは40才頃、“幾何学と恋に落ちた”と言われています。また、ホッブズの時代にはあまり注目されなかったそうですが、既にコペルニクスは地動説を唱えている。これらの社会的な変化をどう認識するか。そのような人類にとって危機的な状況が訪れていたのではないか。そして、ホッブズデカルトは、より進化した思考方法を模索した。そして、数学や科学において用いられていた思考方法、すなわち“論理的思考”を人文科学の世界に持ち込んだ。この思考方法であれば、認識の範囲は飛躍的に拡張する。この方法によって、人間は世界を認識すべきだ。そういう革命的な科学反応が、ホッブズデカルトの頭の中で発生したのではないでしょうか。

 

※ 次回以降は、ジョン・ロックを取り上げる予定です。

 

文献6: ホッブズ/田中浩/清水書院/2006
文献7: 抑止力としての憲法樋口陽一岩波書店/2017
文献8: 法とは何か 法思想史入門/長谷部恭男/河出ブックス/2015
文献9: カルヴァン/渡辺信夫/清水書院/1968
文献10: 暴力の人類史(上)/スティーブン・ピンカー青土社/2015
文献11: リヴァイアサン(1巻~4巻)/ホッブズ岩波文庫/1954