文化認識論

(世界を記述する。Since Oct. 2019)

No. 244 憲法の声(その11) ロックの理性主義、そして立憲・民主主義の起源

イギリスは、何かとややこしい国です。英語圏では、UK(United Kingdom)と呼ばれ、日本語ではイギリスと言われる。イギリス本島の西側にアイルランド島というのがありますが、その北部はイギリス領北アイルランドで、南部がアイルランド共和国になっている。最近のブレグジット(イギリスのEU離脱)問題に絡んで、この地域が話題になりますが、イギリス領北アイルランドEU離脱の方向で、反対にアイルランド共和国は残留の意向。すると、イギリスがEUを離脱した場合、アイルランド島における南北の国境をどうするか、というのが昨今の課題ということらしい。聞けば、イギリスがプロテスタントで、アイルランド共和国カトリックで、互いに反目し合っているそうです。同じキリスト教なのだから、仲良くすれば良いのに、とFar Eastに住む日本人は思う訳ですが、なかなかそうもいかないようです。

 

さて、ロックの人間観とはどういうものだったのか。言うまでもなく、人間を作ったのは全知全能の神である。そして、神は人間だけに理性を与えた。それは、他の動物にはない人間に固有の能力である。理性とは、神が人間に与えた援助である。そして、神は啓示によって、その意思を人間に伝えるが、その啓示をどのように解釈するのか、その判断を下すのも理性の役割である。

 

“だから、理性は「あらゆることがらにおけるわれわれの最後の審判者・指導者」なのである。”(文献12)

 

簡単に言うと、概ね、上記がロックの人間観であり、理性主義ということになります。ちょっと、不思議な感じがしませんか? 無神論者である私なりに、考えてみましょう。

 

まず、“啓示”ということがある。これは、一つには聖書のことではないでしょうか。但し、聖書というのは、基本的に物語風に描かれているので、色々な解釈が成り立つ。そこで当時は、どう解釈すべきか、という論争が絶えなかった。更に、文化人類学的に言えば、啓示とは、“神のお告げ”のようなもので、例えば強烈な夢を見るとか、夢の中で真実を悟るとか、そういう心理的な出来事を指します。これは、直観と同義だと思います。芸術家が閃いたりするのも、この心理的作用によるものだと思います。そういうことは、結構、頻繁に起こるんですね。宗教的な瞑想、修行などによって、引き起こされる場合もあるし、時にはドラッグの幻覚による場合もある。そういう閃きだけを信じた場合、世の中から戦争やカオスは無くならない。そこで、ロックは“理性”ということを言い出した。

 

更に注目すべきことは、神の啓示をどう解釈すべきか、それは理性の仕事だとすると、結局、全知全能の神と、人間の理性と、どちらが上なのかという問題が生ずる。キリスト者キリスト教徒のこと)であれば、当然、神の方が上ということになる。ロックは、そのようなキリスト者たちの心情に配慮しつつ、うまい言い方で、事実上、理性の方を上に配置したのではないでしょうか。

 

とても奇妙なロジックではありますが、ロックはその理性主義に基づいて、以後、政教分離、ひいては人間の自由、生命、健康、所有権など、言わば基本的人権に関する論理を見事に展開してゆくのです。人間には生きる権利がある、と説いたホッブズよりも、はるかに現代の論理に近づいている。

 

しかし、無神論者の私には、不思議な感じがしてしょうがないのです。ロックの理性主義は、その結論においては、正しいと思うのですが、結論に至るプロセスは、神の存在を前提としているからです。何故だろう? 私は漠然と、立憲主義や民主主義という論理を構築したのは、もう少し現代的な無神論者ではないかと思っていたのですが、この予想が誤っていたことを認めざるを得ない。

 

まず、神話の時代があった。古くは、ギリシャ神話があり、同じく紀元前には旧約聖書が書かれた。これは、人間が世界を理解するための仮説だった。この仮説が、神という概念を作り出す。このような物語的思考方法が、物語を体系化する方向に発展した。その完成形が、言わばカトリックであると言えそうです。私の文化論に照らして、要素に分解してみましょう。

 

想像系・・・聖書
身体系・・・賛美歌、祈るという行為
物質系・・・儀式(サクラメント
競争系・・・教会における階級

 

もちろん、様々な記号系の文化もそこに含まれています。そして、ルターやカルヴァンが登場する。彼らは、カトリックの儀式について批判した。それはあたかも“呪術”のようであると。そうなんですね、物質系の文化の、ある発展段階として、“呪術”(物に願いを込める)というのは、避けて通れないものだと思います。呪術なくして、ほとんどの宗教は成立しない。よって、ルターやカルヴァンの批判の本質は、競争系、すなわち教会組織における序列に向けられたのだろうと思います。そして、プロテスタントが生まれた。その発想に立脚しつつ、そこにギリシャ哲学の要素を含め、ホッブズが「自然権としての生きる権利」という概念を持ち込み、そこから一つの人格を持つ群衆、すなわちリヴァイアサンという政治論を展開した。更に、プロテスタントの問題意識とホッブズの政治論を統合し、発展させたのがロックである。そして、ロックにおいて、立憲主義や民主主義の原型というものが出来上がった。このように考えますと、単純に、次のように示すことができます。

 

神話 → カトリック → プロテスタント → 立憲・民主主義

 

ただ、ルター、カルヴァンホッブズ、ロックの時代は、そう離れていない。従って、カトリックプロテスタントは、同じ括りで考えた方が良い。すると、次のようになります。

 

神話 → キリスト教 → 立憲・民主主義

 

すなわち、立憲主義、民主主義の起源は、キリスト教にあったのです!

 

私は62才になるまで、このことを知りませんでした。もしかして、このことは世間では常識となっていて、知らなかったのは私だけなのでしょうか。今どきの高校の教科書には、そういうことが書いてあるのでしょうか?

 

では何故、仏教、儒教神道などではなく、キリスト教だったのでしょうか。それは、キリスト教が全知全能の神という概念を措定したからではないでしょうか。そもそも、全知全能の神が存在するということは、それだけで“真理”だと思うのです。だから、必ずこの世に“真理”は存在するということになる。これを発展させると、真理があるから、それを理性によって発見せよ、ということにもなる訳です。理性主義とは、本質的にこういう構造を持っている。

 

文献12: ロック/田中浩 他/清水書院/1968
文献13: ジョン・ロック/加藤節/岩波新書/2018