文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

No. 245 憲法の声(その12) 理性主義、ロックからポストモダンまで

前回に引き続き、理性主義について考えてみます。

 

ジョン・ロックは、次のように考えた。まず、全知全能の神がいて、神は人間だけに理性を与えた。そして、神は啓示によって人間に真理を告げる。しかし、啓示については、人間が理性によって解釈すべきである。すなわち、ロックの理性主義を構成する要素は、次のように示すことができる。

 

ロックの理性主義 = 神 + 真理 + 理性

 

これは、とても重要な話だと思うのですが、無神論者の私としては、やはりしっくり来ない。では、理性主義はその後、どう変遷していくのか。こういう時に便利な本が、「はじめての哲学史 強く深く考えるために」(文献14)です。この本、タイトルは素人向けですが、内容はとても充実しています。

 

そこで、カント。人間は古代より、根本的な問題を考え続けてきた。例えば、世界は何故出来たのか、神は存在するのか、人間は何故生きているのか。そして、カントはこれらの問題について、答えは出ないと考えた。それらの問いは、人間の理性の限界を超えた問いだからである。他方、人間にとって何が善であるかという問題は、とことん考えれば必ず理性によって理解できる。すなわちカントは、倫理、道徳の原理をキリスト教的世界像から切り離して、人間の理性自身に根拠を持つものとして基礎づけた・・・ということになる。換言すると、カントの理性主義においては、“神”という要素が消える。

 

カントの理性主義 = 真理 + 理性

 

次に、ヘーゲル。彼は“人間は自己意識の自由を追求する”というテーゼを設定した。つまり、自分を自分として肯定しようとする欲望を持ち、その最終的な目標として「絶対本質」ということを考えた。ヘーゲルは、次のように述べる。

 

“真理とは、ある絶対的な事態そのものでも、それを正しく言い当てることでもなく、さまざまな見方のなかから、普遍性を取り出す思考の運動のあり方である。”

 

すなわちヘーゲルによれば、真理とは理性そのもののことであり、理性こそが真理なのだ、ということになる。

 

ヘーゲルの理性主義 = 理性

 

学術的にヘーゲルが理性主義と呼ばれているのかどうか私は知りませんが、一応、上記の解釈が成り立つと思うのです。いずれにせよ、ロック、カント、ヘーゲルの3人は、人間の“理性”の力を肯定していた。そして、思考することが大切だ、そうすれば真理に到達できる、というポジティブな考え方を持っていた。その点は、3人に共通している。

 

しかし、上記の理性主義を否定する考え方が登場する。そもそも、唯一絶対の真理などというものは存在しない、存在しないのだから考えたって分かるはずがない、と主張する人々が現れたのである。これが、ポストモダンと呼ばれる思想の潮流です。文献14は、次のように解説する。

 

ウィトゲンシュタイン構造主義ポスト構造主義などにはそのような真理主義批判が強くみられるが、とくに、ポスト構造主義は近代的な人間観や認識観の否定を強く推し進めたために、その主張はポスト・モダン(post-modern:近代を超える)の思想と呼ばれることも多い。”

 

そして、文献14はポストモダンが登場した理由について、次の3点を挙げている。

 

第1の理由は、第一次、第二次世界大戦の衝撃。近代における西洋の思想、すなわち理性主義によって、人類はかかる惨禍を防止することができなかった。補足を致しますと、例えばカントは1795年に「永久平和のために」という論文を書き、国際連盟の設立に影響を与えたそうですが、それでも人類は、第二次世界大戦の勃発やナチズムを抑制することができなかったという史実があります。

 

第2の理由として、文献14はマルクス主義の失敗を挙げています。これは、真理と正義の名のもとに行われたスターリンによる大量虐殺を引き起こした。

 

第3の理由として、西欧中心主義に対する批判として、レヴィ=ストロースによる構造人類学の影響がある。「どんな民族の文化もそれぞれに等しい価値がある」という主張から、ヨーロッパの植民地支配などが批判された。

 

更に、ポストモダンポスト構造主義)における最大の思想的源流は、「“唯一の真理や道徳が存在するはずであり、人間は理性によってそこに近づいていける”という近代的な信仰を徹底的に批判した」ニーチェにある、とのことです。

 

こうして“差異や多様性は「よい」言葉であり、それに対して、普遍性とか原理という言葉は、差異や多様性を認めずそれらの上に君臨し抑圧しようとするものとして、感覚されるのである。”・・・ということになり、これが現代社会の風潮だと言って良いでしょう。

 

では、一覧にしてみます。

 

ロックの理性主義  = 神 + 真理 + 理性
カントの理性主義  = 真理 + 理性
ヘーゲルの理性主義 = 理性
ポストモダン    = 何もなし

 

理性主義という軸で考えた場合、選択肢は上記の4種類しかないと思います。あなたは、どの立場を支持されるでしょうか?

 

ちなみに、文献14はポストモダンに対して、次のように述べています。

 

“もし「普遍的な原理をめざす」ということがなかったら、哲学のゲームそのものが意味をなさなくなってしまうだろう。(中略)そして、哲学の歴史から学ぶことは何もなくなるのである。”

 

抑制された表現ではありますが、文献14の立場は、ポストモダンに批判的で、理性主義に立ち返れと言っているように感じます。

 

さて、ここまで来たからには、私なりの考えを述べさせていただきたいと思います。次回のタイトル、「それでも真理は存在する」というのはいかがでしょうか?

 

文献14: はじめての哲学史竹田青嗣西研有斐閣/1998