文化認識論

(世界を記述する。Since Oct. 2019)

No. 252 憲法の声(その19) 宗教と憲法

 

ホッブズは、人間の能力には大差がないから、人は皆平等だと考えました。しかし、そうでしょうか。本当は、能力に差があったとしても、人は平等なのではないか。

 

最近問題となっている人権侵害の事例というのは、その根源に“平等”という意識の欠如があるのではないか。セクハラ、パワハラ、Domestic Violence、外国人技能実習生に対する差別、全てそうだと思うのです。順に言いますと、男が偉い、上司が偉い、父親が偉い、日本人が偉い、という意識が根底にある。すなわち、問題の根源は人間の内心にある。この人間の内心に関わる問題について、例えばロックは明確に平等を説いた。しかしそれは、ロックが宗教家だから、そうできたのではないか。

 

一方、我が国の憲法なり法律なりというものは、国民の内心にまでは踏み込まない。そもそも、憲法が保障する自由には、“権力への自由”と“権力からの自由”とがあって、人間の内心というのは、“権力からの自由”に該当します。よって、思想、良心、信教などについては、自由が保障されている。そこには、国家権力が手を付けないんだ、ということになっている。それはそれで、素晴らしいことだと思います。私自身が何をどう考えているのか、そういうことに国家権力に介入して欲しくはない。誰もが、そう思う。しかし、何らかの権力が人々の内心に介入しない限り、セクハラ等の事象はなくならない。

 

人びとの内心にまで入り込む宗教。そして、そこまでは入り込まない憲法と法律。

 

どちらが正しいのか。もし、完全に正しい宗教というものが存在するのであれば、その正しい宗教によって人々の内心をコントロールすることにより、問題は解決できる。しかし、そのような完全に正しい宗教というものは、人類史上、存在したためしがない。すると、人々の内心には立ち入らない憲法や法律というシステムの方が、まだましだということになる。

 

では、頻発する上記のような問題に、私たちはどう対処すれば良いのか。正確には記憶しておりませんが、何かの本で、こんな話を読んだことがあります。昔、白人は何の疑問も持たずに黒人を奴隷として酷使していた。しかし、ある黒人奴隷が自らの境遇を小説に書いたというのです。それを読んだ白人たちは、やっと自らの過ちに気付いた。小説というのは、人々の内心に入り込む。少し青臭い言い方をしますと、村上春樹のように意味の分からないポストモダンの小説ではなく、本当は起承転結があって、人々の心を揺さぶる小説が求められているのではないか。

 

別の方法としては、憲法とは別に、日本人の心に響く平等を訴える宣言のようなものを作るという方法もある。アメリカには独立宣言があり、フランスには人権宣言がある。何か歴史的な出来事と関連づけて、例えば“日本・人権宣言”のようなものを作るという方法だってある。馬鹿馬鹿しい論議だと思われるかも知れませんが、例えば、8年前の3月11日に、日本は大変な災害と原発の事故を経験した。1945年には広島と長崎に原爆を投下された経験だってある。こういう史実に基づいて、反原子力兵器、反原発に関するステートメントを出す。そうすれば、日本は他国から尊敬される国になるはずです。残念ながら、自民党政権がやっていることは、その真逆ですが・・・。(日本は核兵器不拡散条約に加盟せず、東日本大震災の後にも原発を輸出しようと躍起になってきました。ことごとく失敗したようですが)

 

もう少しハードルは高いと思いますが、憲法の前文を書き換える、という方法だってある。現在の日本国憲法の前文は、敗戦直後に書かれたということもあって、平和主義中心の記述となっています。それはそれで意味のあることだとは思いますが、もう少し、人権保障、自由、平等ということについて触れてもいい。例えば、今から国民レベルで論議を開始して、10年後の改正を目指すとか。しかし現実には、こういう論議というものが、一向に出て来ない。このようなことも、憲法学者の怠慢ではないかと思ってしまう理由の1つです。

 

ただ、こういうことを言いますと、憲法学者の側からは「現実はそんなに甘くない!」という反論の声が上がりそうです。敗戦後70年余、憲法学会における最大のテーマは9条にあった。憲法学者は、真面目に勉強をすればするほど、反戦という方向に向かった。戦争はいけない、9条を守れ、ということで護憲派というグループができた。そこで、護憲派 vs 改憲派の戦いが始まる。改憲派の中心的な勢力は、戦前の国家神道体制に戻そうという勢力で、自民党がこれを後押ししてきた。そして、長く自民党政権が続き、護憲派は危機感を募らせた。憲法論議を行なえば、日本を戦前の体制に戻すことになってしまう。よし、ここは改憲論議を封印しよう、ということで、憲法学者を含め憲法の話はなるべくしない、という暗黙の了解ができてしまったというのです。

 

そういう間隙を突いて、自衛隊憲法に明記しようという(私に言わせれば極めて危険な)改憲論議が持ち上がっている。