文化領域論

(No.196 ~ No.228)

政党の立ち位置(その1)

日本には沢山の政党があり、どの政党がどのような立ち位置にあるのか、分かり難い状況にあると思います。縦軸と横軸を使って4つのカテゴリーに分類して説明する例もありますが、どうも私としては納得できない。そこで、とてもシンプルな所から出発し、理論的には8つのカテゴリーに分類する、という方法を考案しました。

 

例えば企業の株価は、これから値上がりするだろうと思う投資家と、いやいや値下がりするに違いないと推測する投資家のバランスによって、成り立っています。それと同じで、政治や社会というものも、今のままでいいと思う人たちと、変えたいと思う人たちとのバランスによって、成り立っている。

 

変えたくない、今のままでいいんだと考える人たちが、何故そう考えるのかと言えば、それは既得権を持っているからに違いない。例えば、小さな漁村があったとして、漁民たちは漁業権という権利を持っている。また、皆で使える漁港があったりすると、そこの使用権というものも発生します。魚の量にも限度があるので、新規参入者が現われるのは、困る。そこで、新規参入者が現われないように、一致協力して既得権を守ろうということになる。唯一、皆から歓迎される新規参入者というのは、既得権者の子息ということになる。世襲ですね。これだと、構成メンバーの総数は変わらない。大体、世の中というのは、こうなっているんですね。

 

対して、既得権を持たない者もいる。既得権者だけで利益を独占しているのはおかしい、と考える。自分だって、その職業なり市場に参入したい。若しくは、何らかの形で疎外されている人たちもいる。このような人たちは、もっと平等な社会を作るべきだと考える。やはり、キーワードは“平等”ではないでしょうか。

 

世の中を変えたくない、既得権を守りたいと思う人たちの集団をシンプルに表現すると、“右派”ということになります。他方、世の中を変えたい、もっと平等にしてもらいたいと思う人たちは“左派”ということになります。

 

次に、個人から始まって、人間集団の規模を区分してみましょう。個人の次に大きいのが、“中間集団”です。個人よりも大きく、国家よりは小さい中間的な集団で、これは思いつくだけでも、地域別、職業別の集団、宗教集団、民族集団、労働組合、役所の省庁など、とても多くの集団が存在します。そして、これらの中間集団(役所の省庁は除く)が政治団体を作る例は、歴史的に見ても少なくありません。

 

そして、国家ということになる。中間集団が多様であるのに比べると、純粋に国家を支える内実というのは、実は少ない。最後に、国家を超える規模で考えるとグローバリズムということになる。このように分類すると、前回の原稿に掲載した一覧表が出来上がります。

 

では、左派の方から、考えてみましょう。まず、共産党。この政党は、比較的分かり易い。何しろ、共産主義を目指している。共産主義というイデオロギー自体、基本的には国民の平等を目指している訳ですが、その平等は国家によって保障される仕組みになっている。国家の下の平等。これが共産主義の本質ではないでしょうか。しかし、この考え方は現実的ではない。当然、国家を運営する側(役人)と一般国民との間で、不平等が生じるからです。

 

神の下の平等・・・・マルティン・ルター
法の下の平等・・・・日本国憲法
国家の下の平等・・・共産主義

 

歴史的に見ても、人類は“平等”とは何か、考え続けて来たに違いありません。上記に加え、私は「文化の下の平等」という説を提唱したいと考えていますが、脱線し過ぎますので、ここでは割愛します。

 

次に、国民民主党ですが、こちらは労働組合の連合を支持基盤に置いています。そもそも連合という組織ができるまでは、賃上げのためならストをも辞さない総評系の労組と、賃上げのためであってもストはしないという同盟系の組織があったのです。ストライキを実施すると、会社の業績が低下する。場合によっては、会社が倒産してしまう。それでは、労働者が職を失うことになり、元も子もなくなる。だから、ストは実施しないんだ、というのが同盟系の基本スタンスでした。そして、総評系と同盟系の双方の労組が合体し、現在の連合という組織になっています。スタンスの異なる総評系と同盟系が何故、合体したのか。私は、明確な理由を知りませんが、多分、労組の構成人員が低下し、組織を維持するためには合流した方が良かろう、という判断があったのではないでしょうか。現在の労働者の約4割が非正規で働いている。そして、その多くの方々は、労組に加入していないのだろうと思います。また、国民民主党を支える連合内の主流派は、同盟系出身なのだという情報もあります。ストはしないんだ、という考え方の方々です。すると、国民民主党も一応左派ではありますが、既得権者の代表格である企業側に寄り添うような主張をすることもある。そのため、一体、右なのか左なのか、はっきりしない。それが国民民主党だと思うのです。これは分かりづらい。典型的な事例としては、国民民主党原発政策です。連合の中には、電力会社の労組も含まれている。彼らは、原発再稼働に賛成しています。すると、連合に気を遣う国民民主党としては、原発には反対だけれども、なかなか原発ゼロとは言い切れない。一時期、「対決よりも解決」などと主張していました。流石にこれは評判が悪く、取り下げたようですが。

 

2017年10月の衆議院選挙で、事件が起こった。小池百合子氏の“希望の党”事件です。民進党は解党し、皆で“希望の党”に合流しようと、当時の前原代表が提案した。ところが小池氏が、希望者全員を受け入れる気はさらさらないと発言し、希望の党の支持率は急降下した訳です。前原氏としては、民進党の左派を切ろうと思ったに違いありません。そこで、希望の党には行きたくなかった人たちが、枝野氏を担いで作ったのが、立憲民主党です。

 

蓋を開けてみると、立憲民主党は善戦し、野党第一党に踊り出た。これには、枝野氏も驚いたに違いない。民進党時代とは違う有権者の熱気を感じた。何故だろう。枝野氏は夜な夜な考えたに違いない。そして、気づいたのだろうと思うのです。特定の中間集団を支持母体とするのではなく、自律した個人を対象に訴えた方が、票が集まる。

 

例えば、本年7月の参院選において、立憲民主党は、多様な候補者を用意しています。薬害エイズ問題の被害者であった川田龍平氏、法廷でGPS捜査の違法性を争った弁護士の亀石倫子氏。どちらの方も、組織に拘束されず、集団に依存していない。しかし、きわめつけは“おしどりマコ”さんではないでしょうか。

続く