文化領域論

(No.196 ~ No.228)

政党の立ち位置(その16) れいわ新選組

一昨日(5月4日)に行われた山本太郎氏の街頭演説会、九州の小倉で行われたものですが、凄かったですね。終盤に差し掛かった所で、トンチンカンなおばさんが絡んで来る。曰く、「れいわ新選組」という名前が気に入らないとのこと。更に、ピンボケなおっさんが「1人で国会行っても、何もできないだろう」とイチャモンを付けて来る。そして、そこから太郎節が炸裂! 詳細は、是非、YouTubeでご覧ください。本編は2時間以上のものですが、ダイジェスト版も出回っています。

 

思うに、山本太郎氏(以下、太郎さんと呼ばせていただきます)という政治家は、とても新しいんですね。そこのところが、頭の古い経済学者、エコノミスト、政治評論家などには理解できない。だから往々にして、理由のない批判を受けるのだろうと思います。

 

まず、太郎さんは東京大学の出身でも、司法試験の合格者でもない。いわゆるエリート層の出身ではない。政治家の息子でもない。ご存じの方も多いことと思いますが、彼はタレントだった。そして、2011年に東日本大震災とそれに続く福島原発の事故があり、そこから反原発運動に加わり、タレント業を捨てて、政治の世界に身を投じたのです。思うに、太郎さんはこの時点で腹をくくったのだろうと思います。世間的に言えば、下積みの修行時代を過ごしてないとも言えます。この点に引っ掛かる人も、少なくないように思います。しかし、その批判は当たらない。長く下積みの時代を過ごした人というのは、年功序列的な発想に陥りやすい。東大出身者などのエリート層が、自発的隷従に陥りやすいことは、既に述べた通りです。

 

2点目としては、太郎さんが「脱中間集団」であるということ。太郎さんは、企業、労組、宗教団体など、いかなる中間集団をもその支持基盤に置いていない。これはとても新しい。だから、太郎さんが利権に絡むリスクというのは、とても小さい。あの立憲民主党でさえ、連合との関係は切れずにいる。それに比べて、太郎さんはひたすら個人を対象に訴え続けている。

 

3点目としては、本格的な経済ロジックを語る政治家というのは、私の知る限り、太郎さんが最初です。一つには、パワーポイントという文明の利器が生まれたという時代背景もある。しかし、5万枚ものスライドを作って、機材を運搬して辻説法を行うという手法は、誰も真似できない。そして、私が強く思うのは、そもそも経済というのはロジックだということ。ただ名前を連呼したり、ガンバローと気勢をあげたりする従来のスタイルと、太郎さんがやっていることは本質的に異なる。

 

4番目。実はこれが一番重要だと思うのですが、太郎さんは「国家を語った初めての左派」だということです。従来、国家主義というのは右派が語る天皇を中心とした国家観のことだった。太郎さんが主張しているのは、経済理論と民主主義を基盤とする国家観であって、従来の左派に、このような発想はなかったのではないか。太郎さんが重視しているのは、「この国に生きる人々」なんですね。それは、私の立憲国家主義と一致する。

 

このように新しいものが出て来ると、人々はまず拒絶反応を示すんですね。例えば、ロック・ミュージックの世界にプリンスが登場した時。観衆はステージ上のプリンスに空き缶だとかキャベツを投げつけた。

 

1960年代にマイルス・デイビスがエレクトリックを導入した時もそうです。ほとんどの評論家は、マイルスの新作をこき下ろした。しかし、プリンスもマイルスも、その後、誰もが認める大成功をおさめたのです。

 

もちろん、太郎さんが今後どうなるか、それは誰にも分かりません。何しろ、組織もなければ金もない。あるのは正義感と情熱と行動力でしょうか。しかし、一人の人間が退路を絶って、日本という国家と、そこに生きる国民のために旗を立てた訳で、私は応援したいと思っています。もし、あなたが太郎さんの主張に賛同するのであれば、きっとあなたにもできるささやかなことがあると思います。例えば、誰かにこう言ってみる。

 

MMTって知ってる?」

 

「消費税って、本当に必要なのかしら?」

 

あなたが生きている中間集団の中で「山本太郎支持」を打ち出すのは、多分、ハードルが高い。しかし、ネットの世界では、匿名でもハンドルネームでも、発言できる。例えば、ツイッターで呟くことだってできる。

 

もちろん、それはささやかなことであって、どれだけ効果があるかは、分かりません。しかし、文化とはそのような民主的な、ささやかな一票を基礎として、進化していくものだと思います。そして、どうせなら文化には参加した方がいい。それは、生きている私たちだけに許された特権なのですから。

 

続く