文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

二重構造

前回、「開放系の中間集団」というタイトルで記事を書きましたが、この問題がどうも気になります。ここら辺に閉塞感漂う現代社会の打開策があるのではないか。

 

中高年のケースを含めて、現在、“ひきこもり”の問題が再度、クローズアップされていますが、これだけ中間集団が疲弊して来ると、引きこもりたいと思う人が増えるのは当然の帰結だと思います。要は、既存の中間集団とは関わりたくないということです。

 

しかし、人間にはいくつか本能のようなものがある。それは食欲だったり、性欲だったりする訳ですが、これらの身体的な本能とは別に、もう少しメンタルな部分での強い特性があると思うのです。一つには、何かを知りたい、認識したいという欲求。例えば、山があったら登ってみたいと思う。島が見えれば、行ってみたいと思う。そういう根源的で知的な欲求というものを人間は持っている。人は常に、自分がどういう場所にいるのか、認識しようとしている。そこは、安全な場所なのか、それとも交差点の真ん中なのか。このような事柄を認識するということは、それは生存確率にすら影響する訳で、本能の一種であると言っても過言ではない。

 

もう一つ。それは、文化に参加したいと希望するという特性です。文化とは空気のようなものではありますが、人は文化に対し、積極的に関与したいと望んでいる。太古の時代から、祭りがあればそこに参加し、何か人が作り出した物があれば、模倣して、同じようなものを作ってみる。こちらもその歴史の長さに鑑みれば、人間の持つ根源的な欲求だと言える。

 

何を隠そう、私がこのブログをやっている理由も、そこにある。何かを認識したいと思って、本を読み、YouTubeを見たりしながら、記事を書いている。そして、文化に参加することを願って、記事をブログに掲載し続けている訳です。経済活動とは、無縁です。このブログをやったからと言って、1円の収入もありません。しかし、カネ儲けが目的ではないから、それだけ純粋だとも言えるような気がします。

 

YouTubeとかツイキャスなどで、山本太郎さんの動画を拝見しておりますと、画面の右側にチャットが表示される場合があります。それはもう沢山の人が、書き込んで来る。そして、結構皆さん、必死に何かを伝えようとされている。書き込みが殺到すると、文章は順繰りに上の方へ移動し、あっと言う間に見えなくなってしまう。それでも、多くの人がそこに参加しようとしている。皆、文化に参加しようとしている。私には、そう見えます。

 

つまり、何かを認識しようとすること、文化に参加しようとすること、この二つの知的な欲求は、身体的な本能と肩を並べるほど、人間にとっては強い欲求だと言えるのではないか。他にもあるかも知れません。もう少し、考えてみます。

 

それにしても、日本の政治状況が、ここまで複雑だとは思ってもみませんでした。そこには、歴史的な経緯があり、MMTなどの新しい理論があり、心理学が絡み、嘘がある。

 

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源頼朝伝説 注)本文とは関係ありません。

 

最近、ネットで読んだ記事に驚くべきものがありました。日本の病院では、なかなかポックリとは死なせてもらえません。体のあちこちにチューブを差し込まれ、薬漬けにされるケースだってある。これにも理由があって、死にそうな老人というのは、医師と製薬会社にとっては利益の源泉だというのです。仮に医療過誤があったとしても、医師の側は「寿命です」と言えば訴訟リスクを回避できる。医療費は保険で処理できるので、取りっぱぐれもない。だから、日本の病院はなかなか死なせてくれない。そして、このシステムを維持するために、日本医師会や製薬会社は自民党に政治献金を行っている、というのです。本当かどうかは分かりませんが、Wikipediaによれば、日本医師連盟自民党を支持しています。私は、できればポックリと逝きたいのですが・・・。

 

小泉元首相が、最近は脱原発を主張している。流石に現役総理時代の悪行を反省しているのか、と思っていたのですが、別の見方もあるようです。すなわち、脱原発に舵を切った場合、廃炉ビジネスが生まれる。自然エネルギーの開発にも同様のことが言えます。その利権を狙っているのではないか、という説がネット上では囁かれています。本当のことは、本人に尋ねてみないと分かりませんが。

 

疑い始めるとキリがないのですが、憲法改正問題も浮上してくる。私の読みとしては、自民党の本音は憲法問題を重視しておらず、ただ、保守票を確保するためのポーズで憲法改正を主張しているだけだ、というものです。しかし、ネット上では、その先の徴兵制復活を目指しているという見方もあるようです。こちらも真実は分かりませんが、確かにその可能性を否定し切ることはできないように思えて来ます。

 

どうやら私は、「お人好し」に過ぎていたのではないか。

 

そこで、前回の記事で言及致しました、「連合」についてもネットで調べてみました。連合とは、経団連の“労働部”であると主張する記事もありました。むしろ、ネットの世界で連合は、経団連とほぼ同一に語られている。表向きは労働組合ですが、事実上、大企業の利益を目指している。だから、消費税の増税自民党に頼み込んだりする訳ですね。

 

私としては、旧同盟系の労組は国民民主党を支持し、旧総評系の労組が立憲民主党を支持していて、2つには違いがあると思っていたのです。しかし、主として官公庁の労組だった総評系ではありますが、国鉄は民営化されJRとなった訳だし、総評系が支持していた社会党も、今はありません。してみると、旧同盟系と旧総評系との間に、昔ほどの相違点は存在しないのではないか。だとすると、現在の国民民主党立憲民主党の間にも、大した違いはないことになります。(両党とも、連合と政策協定を結んでいます。)

 

そのような仮説を前提に、国会中継や政策を見てみますと、腑に落ちる所が少なくありません。日本の政治というのは、どうやらアメリカによる軍事と経済に関わる支配と、大企業による経済的な支配という2重構造になっているのではないか。図にしてみましょう。

 

アメリカによる支配(軍事面、経済面)
 → 自民党
 → 官僚組織

 

大企業による支配(経済面)
 → 経団連 → 自民党
 → 連合  → 立憲民主党 国民民主党
 → マスメディア → 国民

 

上記の仮説に従えば、立憲民主党や国民民主党は、自民党とは戦っても、その上にある経団連に象徴される大企業の悪口は言わない。大企業にとって都合の悪いことは、主張しない。具体的には、例えば「法人税増税せよ」とは言わない。「消費税を減税せよ」とも言わない。これらの事柄を正面切って主張しているのは、れいわ新選組共産党ではないでしょうか。そのように考えますと、共産党という政党、迫害と弾圧に耐え、よく今日まで頑張ってきたものだと感心してしまいます。私は、共産主義には反対ですが・・・。