文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

"れいわ新選組"とロックの所有権

今日は、朝から落ち着かないのです。

 

その話の前に、前回の原稿「安冨さんの馬選挙」と題したものですが、この原稿をアップした7月11日、期せずして安冨さんご本人も原稿を公表されていました。

 

やすとみ歩はなぜ馬で選挙をするのか?
http://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-1078.html

 

これを拝見しますと、どうも安冨さんが馬にこだわるには、深いワケがある。そこまでの事情を私は知らなかったのですが、しかし、もっと動物(馬)と触れ合おう、という結論部分は私と共通しており、私が安冨さんを支持する気持ちに変わりはありません。また、先日、品川で開催されました「れいわ祭り」における安冨さんの演説には、感動しました。曰く、サイバー攻撃核兵器の時代にあって、もはや武力による国防は成り立たない。国防のために真に有効な手段は、世界中の子供たちを大切にすることだ。その通りですね。

 

但し、私は馬に限定することなく、人間はもっと動物と触れ合うべきだと考えており、この点は変わりません。例えば、トルコには地域に居住する猫(地域猫)を援助する社会的システムがある。インドにはサルと共存する街がある。これは、サルを神の使いだと考える宗教的な理由もあるようですが・・・。従って、将来誰かが、馬以外の動物を連れて選挙活動を行った場合でも、多分、私は支持するでしょう。ゾウにまたがった候補者が、都心で選挙演説を行う。想像しただけで、ワクワクしませんか!

 

ところで、最近、このブログを更新することを負担に感じるようになって来ました。このブログに掲載している原稿は、本を読んだり、YouTubeを見たり、その他、世の中で起こった出来事などに触発されて、私が考えたこと、感じたことを記している訳ですが、例えば、“れいわ新選組”が立ち上がって以来、「世の中で起こる出来事」のスピードが速すぎて、このブログがそのスピードに着いて行けないのです。

 

例えば1週間ほど前に、“れいわ新選組”が新橋SL広場で街頭演説会を開催した時、そのオープニング・アクトとして、沖縄民謡を歌われた女性がおられましたが、彼女は“あすなろ”さんという方です。彼女は、沖縄の辺野古反対運動に参加され、築地の“女将さん会”に寄り添い、路上で結婚式を挙げ、こよなく民謡を愛しておられる。私はあすなろさんの歌う民謡が好きで、そんなことも書きたいと思っていた訳ですが、“れいわ新選組”の猛攻は止まらない! 私のブログは、追いつかない!

 

思うに、このブログは一応、従来型の起承転結というスタイルを意識してきた訳ですが、そういう文章の書き方自体に、問題があるのではないか。何か、もっと楽に書けるスタイルが存在するのではないか。そんな気持ちもあって、今回の原稿は、あえてスタイルを壊してみることにしました。

 

話は飛びます。と言いますか、ここから本題に入ります。

 

現代社会におきましては、貧富の格差が拡大している訳ですが、そもそも、人間社会における財産権とは何か。そういう疑問がある訳です。

 

狩猟・採集を生業としていた時代、人びとは大した財産を持っていませんでした。そして、狩猟・採集によって得られた食物は、比較的平等に分配されていた。原始共産制だった訳です。

 

人口が増えて、狩猟・採集のみに頼って生きることが困難になると、人びとは、農耕・牧畜を始める。すると、農耕を行うための土地、牧畜を行うための家畜が、人間にとって重要な財産となる。人びとは定住を始め、武力や宗教によって、生活を共にする集団の規模を拡大した。やがて、諸侯、貴族、殿様などが土地を所有し、平民は労働を提供するというシステムが出来上がる。

 

その後、ヨーロッパにおける一揆、暴動、戦争、革命などを経て、土地の私有財産制というものが考えられる。当時の思想家として、ジョン・ロック(1632-1704)がいます。まず、誰も手を付けていない荒れ地があったとして、その荒れ地を耕した者が、その土地の所有者となるべきだ、ということ。そして、土地の所有権には制限を付けるべきであって、ロックは自分で耕せる範囲の土地だけ、その所有権を認めようと言っている。

 

-人が耕し、植え、改良し、開墾し、その産物を利用しうるだけの土地が、彼の所有物なのである。-
(出典:統治二論/ジョン・ロック岩波書店

 

イギリスのような狭い島国でも、昔は、誰も手を付けていない荒れ地があったのでしょう。これはこれで驚きですが、ロックの説には、何か惹かれる所があります。その本質を考えてみますと、所有権と労働が結び付けられている点です。荒れ地であっても、例えばリンゴの木があって、それを収穫できる可能性はあります。しかし、これを耕して畑にすれば、荒れ地だった時の十倍以上の収穫を期待することができる。だから、荒れ地を開拓することは良いことであって、そういう良いことをした者には、所有権を認めようということですね。昔の日本でも、例えば北海道を開拓した者には、その土地が与えられたのだろうと思いますが、これはなかなか良い制度だと思います。

 

ロックの説には、もう一つ魅力がある。それは、所有権に制限を付けようという発想です。昔のこととは言え、土地の広さにも限度がある。大体、一生懸命耕した土地から農作物を収穫すれば、家族の皆が食べていけるだろう。だったら、その程度でいいじゃないか。ロックは、そう考えた。また、ここで注意すべきことは、農作物という実質的な価値を基準として、制限が課されているという点だと思います。整理してみましょう。

 

1. 所有権とは、労働の対価として与えられるべきである。
2. 所有権には、実質的な価値に照らして、合理的な制限が加えられるべきである。

 

ロックの説に従えば、上記2点のテーゼが導き出されると思います。現代の資本主義は、こういう大切な原理を忘れてしまっている。例えば、カルロス・ゴーン氏の年収は、表に出ているものだけでも10億円程度あった。お前は知らないのか、それがグローバルスタンダードというものだ、という論調もありますが、私はそうは思いません。グローバルスタンダードというのは、相対的な判断基準であって、ここはロックが言うように絶対的な価値基準で考えるべきではないか。すなわち、ゴーン氏は10億円に見合うだけの労働を提供したのか、というのが1点。そして、実質的な価値、すなわちゴーン氏一家が暮らしていくのに必要な金額はどれ位なのか、ということです。何も、ベルサイユ宮殿を借り切って結婚式を挙げる必要など、どこにもない。

 

土地の面積には、限度がある。土地から収穫される農作物にも限度がある。人間が食料として消費する農作物の量にも限度がある。他方、貨幣によって蓄積される富には、限度がない。ここに、現代の貨幣経済の問題があるのだと思います。

 

では、どうすればいいのか。簡単です。(太郎さんの口調が移ってしまいました!) そもそも、ロックが述べたように、特に「自らの労働に基づかない所得」には、「合理的な制限」を加えればいいのです。例えば、大企業の役員の報酬だって、1億円あれば十分ではないでしょうか。それだけあれば、家族ともども、十分に食べていける。これは、そういう法律を作れば実現できると思います。株式の売買によって得られた所得というのは、労働の対価ではありません。これには高い比率での所得税を課せばいい。そもそも人材派遣業というのは、人材を紹介した時だけ、紹介手数料を払えば十分ではないでしょうか。実際には、派遣社員の給料を派遣会社がピンハネしている。そんなものは、禁止すべきだと思います。

 

もう一つ。MMT(現代貨幣理論/Modern Monetary Theory)から導かれる国家経済の運営について、思い出す必要があります。すなわち、政府は企業や個人から成る国民経済という領域が保有する貨幣の量、すなわちマネーストックを調節することができる。このマネーストックを増やそうと思えば、財政支出を行なえばいいし、逆に、減らそうと思えば税金を徴収すれば良い。この調整機能によって、マネーストックを適正に維持すると共に、緩やかなインフレを維持することが可能になる。

 

もう少し考えますと、政府には他にもできることがあります。すなわち、企業は商品を供給する側であり、反対に個人は商品を購入するという関係にある。企業には供給能力があり、これは個人の購入能力とバランスする必要がある。政府は上に記した通り、財政支出、税の徴収という能力を使って、この供給能力と購入能力とをバランスさせることが可能なのです。

 

政府・・・財政支出/税の徴収・・・企業の供給能力を調整
政府・・・財政支出/税の徴収・・・個人の購買能力を調整

 

この調整能力によって、目標とするインフレを達成することが可能なはずです。そして、政府が上記のような機能を発揮するためには、政府が企業よりも強い立場にあって、必要だと判断した場合には、大企業の政治的圧力に負けず、法人税を徴収できなければならない。すなわち、政府が大企業よりも強い立場になければ、上に記した経済政策を実現することはできません。現在の自民党政権では、大企業 → 経団連 → 自民党 という関係にあるため、大企業側から必要な税の徴収ができていないのです。それどころか、法人税の減税を繰り返している。

 

上記の通り、政府にはしっかりと国家経済を運営するための役割を果たしてもらいたい、消費税を廃止し、必要に応じて(デフレ脱却後)、法人税増税などの施策を打ってもらいたいと考えた場合、それができる主要な政党、政治団体というのは、“れいわ新選組”と日本共産党しかないのではないか。

 

私は、生まれてこの方、共産党に投票したことはありませんが、次の参院選では、比例は山本太郎氏、選挙区では共産党の候補者に投票しようと思っています。(私は、東京都在住ではないため、野原ヨシマサ氏に投票することはできません。)

 

ちなみにMMTを推進する左派のグループとして、薔薇マークキャンペーンという運動がありますが、次の参院選候補者の中で、反緊縮政策に賛同しているとして薔薇マークを認定された候補者は全部で48人いますが(7月12日現在)、そのうち23人が共産党の所属です。そもそも、MMTというのは国家主義との相性が良く、反グローバリズムであるとも言えます。すると、共産党との親和性が高い。但し、薔薇マークの認定を受けている共産党の候補者は、比較的、若い人が多い。共産党の幹部クラスの方々にも、是非、積極的にMMTを検討してもらいたいと思います。

 

さて、先ほどから時計が気になっているのですが、何故かと言うと、本日、18時30分から、太郎さんと野原さんの街頭演説会が大宮で開催されるのです。大宮って、近所なんです。デジカメの充電も完了したようです。そろそろ、出掛けます!