文化認識論

(世界を記述する。Since Oct. 2019)

文化認識論(その1) アイヌ絵本 和人になった兄

このブログのタイトルは、文化の誕生、文化で遊ぶ、文化領域論と変遷して来ましたが、今日から、文化認識論に変更致します。

 

まず、以下にリンク先を貼付致しますYouTubeアイヌ民話をご覧いただきたく、宜しくお願い致します。これは本ブログの9月14日の記事にリンク先を貼付したものと同じです。約14分あります。

 

アイヌ絵本 和人になった兄
https://www.youtube.com/watch?v=on5UuLy1dMI

 

原作において、話者は“弟”になっていますが、“兄”の立場から、この物語の概略を記してみます。

 

・両親に連れられて、和人の村に交易に出たアイヌの“兄”は、和人の夫婦に請われて、養子に出される。
・“兄”は和人の養父母に大切に育てられるが、実父母や弟のことが忘れられず、苦悩する。
・月日は流れ、成人した“兄”は、交易のためにやって来た“弟”と再会する。“兄”は“弟”に対し、涙ながらに自分の生い立ちを語る。“弟”はこれを涙ながらに聞く。そして、“兄”は過去のわだかまりを捨てる。
・“兄”は、和人として生きて行く決心を固める。

 

上記のように解釈しますと、この物語には典型的な起承転結のあることが分かります。では、この物語が何を意味しているのか、読み解いてみましょう。

 

まず、アイヌと和人という2項対立がある。かつてアイヌの人々にとって、和人はとても不思議な存在だったはずです。外見は似ているものの、言葉や衣服、風習など、全てが異なっている。これは一体どういうことなんだろう、と不思議に思っていたはずです。

 

そして、物語の中で“兄”の身の上に生じた起承転結が語られる。すなわち、和人として生きていく決意をした“兄”は、言わばアイヌと和人の中間的な存在となる。その後、アイヌの人々は、和人の村には“兄”がいて、その子孫のいることを語り継ごうと言っている。結果として、アイヌの人々は和人を自分たちとつながりのある民族として、認識するに至る。別の言い方をしますと、当初存在していた2項対立が緩和されている。

 

ここに、文化を司る本質的な構造があるのではないか。

 

AとBが対立している。そこに、Cが登場する。Cが何らかの転換を経て、AとBの中間的な存在となる。結果、AとBの対立関係は緩和され、AはBを認識する。

 

仮に、当初の段階から転換後のCが存在していると、AとBの対立関係が成立しない。よって、Cはあくまでも転換する必要がある。換言すれば、この思考方法には転換を描く物語が必要となる。

 

何らかの転換を経て、中間的な存在となるCを、今後、“介在者”または単に“介在”と呼ぶことにしましょう。

 

私がこのブログで“物語的思考”と呼んで来た思考、認識方法の本質も、ここにあるように思います。よって、このような思考、認識方法については、引き続き“物語的思考”と呼ぶことにします。

 

上記のように考えますと、同じような例は、沢山あります。例えば、誰もが知っている“鶴の恩返し”。これは、まず人間と鶴という2項対立があって、鶴が人間の娘へと転換を遂げる。すなわち、介在者となる。人間は介在者を通じて、鶴という鳥を認識する。

 

9月14日の記事に貼付した以下の動画も、構図は同じだと思います。

 

韓国人女性のフリーハグ
https://www.youtube.com/watch?v=Ob6QediH92w

 

日本と韓国が対立している。そこに介在者として、韓国人女性が登場します。日本に居住している彼女は、実家に連絡してチマチョゴリを送ってもらったそうです。そして、フリーハグを決行する。

 

物語的思考というのは、どうやら介在者を通じ、自分の方に引き付けて物事を認識しようとするんですね。だから、融和的、平和的なのだと思います。