文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

文化認識論(その2) アイヌ文化を支えた2項対立

先の原稿に記しました“物語的思考”のパターンを記号式によって表現することができるのではないか、などと思ったりします。では、記号を定義してみましょう。

 

× ・・・ 対立関係を示す。
- ・・・ 互いに認識し合うフラットな関係を示す。
= ・・・ 統合されたことを示す。

 

まず、2項対立がある。これは(A×B)。
そこに、介在者Cが登場し、フラットな関係が構築される。これは(A-C-B)。
この関係が発展し、やがてABCが統合される。これは(A=C=B)。
この統合体は、便宜上、Cと表記する。
やがて、Cに対立するDが登場する。これは(C×D)。
そこに、介在者Eが登場する。(C-E-D)
以下、最初のパターンと同じことが繰り返される。

 

A×B
A-C-B
A=C=B
C×D
C-E-D
C=E=D

 

上記のようなモデルを考えますと、これはどこまで行っても対立関係を融和しながら、成長していくことになります。アイヌの文化は、このように成長して来たのではないか、と思ってしまいます。

 

これに対し、現代日本においては、介在者Cがほとんど登場しない。だから、対立関係ばかりが増長している。私には、そう見えます。あえて記号式にすると、A×B×C×・・・。

 

上記のように、物語を記号式に表わしてみるという試みは、残念ながら私のオリジナルのアイディアではありません。レヴィ=ストロースがとっくの昔にやっているんです。ある神話があって、それを彼が記号式で説明する。読者は納得する。しかし、誰もレヴィ=ストロースと同じような解釈を記号式に表わすことができない。それが問題だ、という批判もあるようです。何しろ、レヴィ=ストロースが作った記号式は、とても複雑なんです。それに対して、上に記した私の記号式は、とても単純なんですね。現時点で、このような考え方が何かの役に立つのかどうか、それは私にも分かりません。しかし、今後、いくつかの神話を解読していく中で、何らかの効用を見いだすことができるかも知れません。

 

ちなみに、2項対立という考え方もレヴィ=ストロースが提唱しているものです。彼は「要素と要素の関係、要素と全体の関係パターンの背景にあるものは、抽象的な二項対立に還元しうる」と考えた。そして、記号式などを用いて文化の構造を明らかにしようとした訳です。そのような理由から、レヴィ=ストロースの思想は構造主義とか、構造人類学と呼ばれるようになったようです。

 

私はレヴィ=ストロースが大嫌いなのですが、どうも影響は受けている。今後は、あまり彼の悪口は言わず、私は彼の思想を「批判的に継承」しているということにしましょう。(批判的継承! 便利な言葉ですね。)

 

次に、このブログを途中からご覧いただいている方もおられると思いますので、私の想定している時代区分を以下に記します。

 

古代・・・狩猟、採集。文字を持たない。
中世・・・農耕、牧畜。文字を持つ。
近代・・・工業。
現代・・・情報産業。

 

アイヌ文化は、文字を持たなかった。すなわち、上記の時代区分に照らして言いますと、アイヌ文化は“古代”に属する。そして、人類の長い歴史を考えますと、その大半は古代だった訳です。例えば、人類は180万年前から火を使用してきました。文化には、それだけ長い歴史があるということです。一方、人類が文字を発明したのは、わずか5千年前。日本人が文字を使うようになって、まだ2千年程度ではないでしょうか。従って、文化を司る根本的な原則というのは、古代に作られたに違いないと思う訳です。実際、アイヌの文化には、魅力が溢れている。

 

そろそろ、表題の件に移りましょう。

 

アイヌの人々は、極寒の地で暮らして来ました。従って、特に冬季には木の実などを採集することは困難だった。すなわち、狩猟によって食物を得て来た訳です。生き延びるためには、動物を殺して食べる以外に手がない。しかし、動物と言っても二つの目があって、鼻と口がある。人間に似ていないこともない。切りつければ、赤い血が流れる。殺すのは可哀想だ、という感情が生まれる。実際、アイヌには美しい鳥を前にして、弓を引こうか否か逡巡するという踊りが、今日まで伝承されています。動物を殺さなければいけない、でも可哀想だ、というのがアイヌをはじめとする古代人が抱えた根源的な2項対立だったと思います。

 

アイヌの場合、この2項対立を緩和させるために想定したのが、カムイだった。カムイを日本語では神様と表現する場合もありますが、その内実はとても異なるものです。神様は人間よりも上位に存在するものですが、カムイはアイヌの人々と対等の関係にあった。物語の中で、時にカムイは人間にいたずらをしたりします。怒った人間がカムイと戦って、カムイを懲らしめることもある。

 

そして、人間はカムイと交信することが可能だった。人間の側からカムイに何かを伝達する際には、儀式が用いられた。他方、カムイから人間に何かを伝達する際には、人間の夢が用いられた。カムイは、人間と動物を介在する存在だったはずです。

 

A(人間)×B(動物)
A(人間)-C(カムイ)-B(動物)

 

やがて、それらは統合され、調和の取れたアイヌ文化を構成する。

 

A(人間)=C(カムイ)=B(動物)

 

アイヌの人々は、幸福だったのです。