文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

文化認識論(その6) ムックリとJaw Harp

アイヌの伝統的な楽器にムックリというのがありますが、とても不思議な音がします。竹でできたリードのようなものがあって、それを口に当てて、先端を紐で引っ張る。すると、ビロンビロンという音がなる訳ですが、実はこの楽器、もっと奥が深いようです。以下に添付しましたYouTubeの動画を見ますと、ビロンビロンというメインの音のバックグラウンドで、ヒューヒューという風のような音が聞こえてきます。この音を出すためには、相当な鍛錬が必要ではないか。

 

ムックリの演奏
https://www.youtube.com/watch?v=lN5fD6ujZw4

 

ムックリの演奏方法を解説する動画を見ておりますと、まず、左手でムックリの先端を持つ。そして、左手を自分の顔の頬骨にしっかりと固定するそうです。すなわち、竹製のリード(振動する部分)が醸し出す音が、演奏者の頭骨に反響して、音が出る。そういう仕組みになっているようです。音を増幅させるために、人間の身体自体を使っている。これは、とても声に似ている。

 

そもそも古来より、何故、アイヌの人々はムックリを演奏してきたのか、という問題があります。現代のアイヌの人々は、その理由を次の3つであると説明しています。

 

1. 雨だれの音を真似る。(私の理解としては、ビロンビロンというメインの音)
2. 風の音を真似る。(私の理解としては、ヒューヒューという風のような音)
3. 恋する乙女が好きな人を思って奏でる。(私としては、理解不能

 

そう言えば、オレナ・ウータイが使っている鉄製のものは、Jaw Harpと呼ばれますが、このJawというのは、“顎”(あご)という意味なんですね。昔、Jawsという人食い鮫の映画がありましたが、こちらも同じ意味なのだろうと思います。

 

Blessing of Nature オレナ・ウータイ
https://www.youtube.com/watch?v=oecQDr9B6KU

 

Jaw Harpは、時折、Jew Harpと表現されますが、これは「ユダヤの」という意味ではなく、マウス、すなわち「口の、口で奏でる」という意味だそうです。また、Jaw Harpは、世界各地にあって、それぞれの民族が独自の名前を付けている。ムックリも、Jaw Harpの一種だと言ってよさそうです。また、海外の動画を見ていたら、面白い話がありました。Jaw Harpは、主にシベリア地方のシャーマニズムと共に伝えられて来たものですが、ソビエト連邦、特にスターリンの時代には、その使用が禁じられたというのです。何故かと言うと、Jaw Harpを使用していると、人間が別の世界に行ってしまうからだと言うのです。この「別の世界に行く」という表現は、「人間がトランス状態になる」ということを意味しているのではないでしょうか。すなわち、Jaw Harpというのは、元来、人前で演奏するものではなく、大自然の中で奏でられてきた。(アイヌの人々も、そう説明しています。)そして、演奏を続けるうちに、奏者はトランス状態に入って行く。最終的に奏者は、自然に同化する。これが、Jaw Harpの本質だと思います。また、Jaw Harpを演奏する時、シベリアのシャーマンであれば精霊を思い、かつてのアイヌであれば、カムイに思いを馳せていたのではないでしょうか。

 

人間 - Jaw Harp - 精霊・カムイ - 自然

 

このように考えますと、Jaw Harpとは、音楽を演奏するための楽器ではなく、精霊やカムイと交信するための道具だった、ということが分かります。また、シャーマニズムについて考えておりますと、あらゆる場面で、“介在原理”が働いていることが分かります。

 

アイヌの人々の映像を見ておりますと、時折、食物を火の中に放り込んだりする。もったいないことをするもんだなあ、などと思ったりもする訳ですが、当然、このような行為には意味があって、食物をカムイに捧げているのだろうと思います。アイヌの食文化は、カムイとつながっている。

 

次のユーカラも、私にとっては衝撃的なものでした。

 

赤ん坊の知らせ
https://www.youtube.com/watch?v=PQbOPwM6pk8

 

冒頭、言葉で表現することがとても困難な、「ルルル~」という声が入っている。どうも、これは鳥の鳴き声を真似ているのではないか。冒頭だけかと思ったら、歌の途中にも入っている。つまり、ここには、次の3つの要素が混在していることになります。

 

・動物の鳴き声の真似
・音楽的要素
・歌詞における物語的要素

 

こういう所に、私としては文化の起源を感じるのです。そして、歌詞の中に、赤ん坊の心はカムイとつながっている、という箇所がある。ここにもカムイが登場する訳で、アイヌ文化と言いましょうか、アイヌの人々の認識方法の中核にカムイが存在することが分かります。自分が直接認識できない動物や自然、そして泣き止まない赤ん坊まで、アイヌの人々はその背後にカムイの存在を措定している。アイヌの文化は、カムイという概念によって、結節されている。

 

シャーマニズムの世界では、動物の頭蓋骨が“占い”に用いられたという事例が報告されています。もしかすると、かつてのアイヌの人々も、同じようなことをしていたのではないでしょうか。してみると、占いをする人、熊などの狩りをする人、イナウ(カムイを祀る木の棒)を作る人、ユーカラを歌う人など、何種類かの人々が存在したことになる。換言すれば、何種類かの文化が別々に存在したことになる。しかし、それらのいずれもがカムイとつながっていて、それらの文化を総合したものが、知里真志保氏の言葉「呪術的仮装舞踊劇」ということになるのではないか。