文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

文化認識論(その9) 関係性と想像力

前回の原稿の末尾に掲載しました一覧を、以下に再掲致します。

 

1. 真似る・・・観察、関係性、自然記号
2. 融即律・・・想像力、関係性
3. 介在原理・・・想像力、概念、関係性
4. 物語的思考・・・想像力、概念、因果関係、話し言葉
5. 論理的思考・・・観察、想像力、概念、因果関係、文字
6. 記号分解・・・記憶力、人工記号

 

アイヌの人々を含め、無文字社会における認識方法は、1番から4番ということになります。

 

1番から3番までのパターンでは、まず、人間が何らかの対象に興味を持つところから始まる。動物に興味を持って、その真似をする。植物に興味を持って、自分たちとの関係性を発想する。介在者や介在物を措定して、自分と対象との関係を認識する、といった具合です。この認識をしようとする者と対象との関係性は、多分、3番の“介在原理”において、そのピークを迎える。4番の物語的思考になると、物語の中に話者や聞き手は登場しません。よって、物語的思考において、関係性は衰退していると言えます。

 

次に、想像力ですが、こちらは2番の融即律から始まって、4番の物語的思考において、そのピークを迎える。アイヌユーカラやその他の神話におきましては、現実に発生した出来事にヒントを得ているものも少なくないとは思いますが、その世界では動物が言葉を話したり、カムイが登場したりする訳で、構成要素の多くは人間の想像力に依拠しているものと思われます。5番の論理的思考になりますと、未だ想像力に頼る部分はありますが、その範囲は現実世界の枠組みの中に限定されると思います。換言すれば、論理的思考において、想像力に頼る部分は減少している。

 

このように考えますと、上の一覧から、いくつかのことが分かってきます。

 

第1に、人間の認識方法は、まず、身近な対象に興味を持つ所から始まって、それは多分、3番の“介在原理”においてピークを迎え、その後、衰退して行く。

 

第2に、かつて人間は想像力に頼って認識していたものの、そのピークは多分、4番の物語的思考においてピークを迎え、その後、衰退していく。

 

第3に、人間が認識しようとする対象の範囲は、とても身近な所から始まって、4番の物語的思考において普遍化され、以後、拡大の一途を辿る。

 

第4に、現代人の認識方法は、記号に依拠しており、あらゆる事象が記号化され、記号によって分割されている。このような事態を私は、“記号分解”と呼んでいる訳ですが、この認識方法においては、自分と対象との関係性は希薄になる。更に記号分解という認識方法においては、多くの場合、想像力を必要としない。すなわち、現代人が失ったのは、関係性と想像力である。

 

第5に、1番の“真似る”から4番の“物語的思考”までの中に、芸術の起源と本質が含まれている。

 

真似る → ダンス、音楽、ファッション
融即律 → これは「直観」として、芸術を支える重要な心理的機能として理解されている。
介在原理 → 介在物は、その後の彫刻や絵画となる。
物語的思考 → 文学

 

上記4つの認識方法が、芸術の本質である。芸術の本質とは、近代以降、記号分解に対するアンチテーゼとして顕現する。換言すれば、近代以降の前衛芸術は、反文明、反権力という様相を呈する。

 

第6に、1番の“真似る”から4番の“物語的思考”までの中に現代人の心を癒すヒーリング効果が内在する。この点は、以下のYouTube番組をご紹介させていただきます。河合隼雄氏は、言わずと知れたユング派心理学の日本における第一人者です。

 

世界 心の旅 河合隼雄 「アメリカ 大地に響く癒しの笛」
https://www.youtube.com/watch?v=yZu3GVxmzN8

 

ちなみに、番組中のナバホ・インディアンが治療の為に用いる砂絵は、近代前衛絵画、ジャクソン・ポロックに多大な影響を及ぼしたと言われています。

 

どうやら私が永年追い求めて来た古代人のメンタリティだとか、芸術の本質だとか、現代人が抱える課題など、記述することができたように思います。今夜は、一人で祝杯をあげることにしましょう!