文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

文化認識論(その15) 私たちに残された時間

結論から言いますと、私たちに残された時間は、あと18年です。これは、私が主張していることではなくて、アメリカの政治学者であるイングルハートが「文化的進化論」(文献1)という本の中で述べているのです。文献1には「あと20年」と記されていますが、この本が執筆されたのは2018年で、既に、それから2年が経過している。よって、18年ということになります。

 

何も、地球が消滅するとか、太陽が爆発するとか、そういう話ではありません。地球上に暮らす普通の人々が、普通の幸せを追求できる社会を維持するためには、あと18年以内に人類が正しい決断を下す必要がある、ということなのです。

 

文献1はかなりボリュームのある本なので、その一部のみを紹介致します。そもそもこの本は、以下の世界的な調査結果に基づき執筆されています。

 

・世界価値観調査
・ヨーロッパ価値観研究

 

調査の期間は、1981年から2014年で、調査の対象となった国は105か国に及ぶそうです。膨大なデータを下に、統計的な処理を加えて、分析している。よって、これは科学と呼べるものだろうと思います。但しオルテガは、科学者というのは専門分野に閉じこもりがちで、彼らこそ「大衆的人間」だと指摘しており、私もその意見に賛成です。よって、この本に書かれていることが本当に正しいのか否か、それは自ら吟味して、判断する必要があるように思います。

 

まず、文献1は「進化論的近代化論」について述べています。概要は、次の通り。

 

1)人間の価値観は主に生育期に決定され、その後の変化は少ない。

 

2)生育期に自らの生存が脅かされていると感じた人は、自らの生存を維持するために必要な「物質主義的価値観」を持ちやすい。人間の生存を脅かす事柄とは、飢餓、疫病、戦争などである。

 

3)「物質主義的価値観」は、以下の傾向を持つ。
・宗教を重視する。
出生率は高い水準で維持される。
・集団内の規範が尊重される。
・よそ者を排除する。
・強力な指導者を求める。

 

4)生育期に自らの生存に不安を感じなかった場合、その人は、「脱物質主義的価値観」を持ちやすい。

 

5)「脱物質主義的価値観」は以下の傾向を持つ。
・脱宗教化(世俗化)が進む。
出生率が低下する。
・男女平等、LGBTへの理解などが促進される。
・暴力行為の発生率が下がる。
・国のために戦おうという意欲が減退する。
・環境問題への意識が高まる。
・よそ者や新しい意見に寛容になる。

 

生存に対する安心感のレベルは、人間の生育期に影響を及ぼすので、社会、経済環境の変化が生じてから、人々の価値観に変化を及ぼすまでには、タイムラグがある。すなわち、新たな社会環境が発生してから、その環境下で価値観を育んだ人が成人するためには、20年が必要で、更に、新しい価値観を持った人々が社会で影響を持つようになるためには、更なる時間が必要となる。例えば、第2次世界大戦が終結したのが1945年で、戦後生まれの人が成人したのは1965年。ただ、この時点では戦後生まれの人は少数派でしかないことになります。

 

また、人々の価値観の変化は、上記のような「生存に対する安心感のレベル」だけで決まるものではなく、各国や地域に根差した文化の影響がある。これらの文化は、一度その方向性が決まると、ひたすらその方向に向かおうとする性質(経路依存性)があるので、変化し難い。

 

「進化論的近代化論」の概要は、以上の通りです。確かにそういうことはあるかも知れないと、私も思います。この説によれば、世代によって価値観が異なる理由を説明することができます。なお文献1によれば、マルクスマックス・ウェーバーなどの古典的近代化論においては、科学的知識が普及すれば、宗教的価値観が低下すると考えられていた。しかし、実際にはそうなっていない。あくまでも「生存に対する安心感のレベル」が向上した場合に、世俗化が進む。

 

また今日、世界の政治、経済に対してその存在感を増している中国なども、いずれ民主化されるのではないか、との期待を持つことができます。例えば、「脱物質主義的価値観」を持つ世代が、やがては中国の政権の中枢に進出して来る。それらの人々は、自ら民主主義的な価値観を持っている訳で、その方向に持って行こうとするに違いない。

 

すなわち、世界中の子供や若者たちの「生存に対する安心感のレベル」を向上させれば、やがて、世界は平和になる。そう思う訳ですが、世界はそう簡単ではない。

 

文献1によれば、第2次世界大戦終結後、大国間における戦争は発生しておらず、世界各国において、経済的な発展があった。ところが、1980年代になるとイギリスのサッチャーアメリカのレーガン(そして、日本の中曽根)らが新自由主義を推進し始めた。その結果、グローバリズムとも相まって、格差の拡大が始まり、貧困層が拡大した。すると、人々の価値観が退化し、すなわち「物質主義的価値観」が復古し、ナショナリズムと排外的な政策を標榜する政党が登場するようになった、というのです。

 

そこで、富める1%と99%の戦いが始まる。しかしながら、状況を正しく認識していない人々が、例えば、アメリカではトランプに投票してしまう。文献1は、独裁主義的なポピュリスト政党への支持層について、「年長世代、低学歴者、男性、信仰を持つ層、民族的多数派」に集中していると述べています。

 

そして、人工知能が社会や経済を席捲する時代がやって来る。シンギュラリティ(技術的特異点)については、既にこのブログで述べた通りです。すると、格差は更に広がる。これ以上格差が拡大し、人々の仕事がなくなれば、普通の人々が普通に生きていくことが困難となる。このような事態を回避できるのは、政府の力をもってする以外に道はありません。政府、すなわち国家の力をもって、富の再分配を行う以外に方法はないのです。99%の人々が、状況を正しく認識して、正しく行動する以外に、危機を回避する方法はない。

 

文献1は、次のように述べています。

 

「必要なのは、現在の主な経済対立がこの99%対1%であると認識することに尽きる。」

 

(参考文献)
文献1: 文化的進化論/ロナルド・イングルハート/山﨑聖子(訳)/勁草書房/2019