文化認識論

(世界を記述する。Since July 2016)

文化認識論(その16) 積み残したいくつかの論点

起承転結を意識して、それなりの分量で記述したいと思うことと、そこまではいかない小さな論点というものがあるようです。しかし、この小さな論点の中にも重要な問題が含まれている場合があるように思います。今回は、現時点で積み残しとなっているいくつかの論点について、述べることに致します。

 

まず、前回の原稿で紹介致しました「文化的進化論」という文献ですが、この文献が指摘しているポイントは「文化的な争点ではなく、99% 対 1%を対立軸とした政治状況を作るべきだ」という点にあります。この「文化的争点」とは、例えば妊娠中絶の可否だとか、同性婚の可否、LGBTの人権問題などを指しているように思えます。そのような争点で戦っているのが、現在のアメリカにおける政治状況である、と筆者のイングルハートは考えている。しかし、緊急性の高い争点は、そこではない。あくまでも貧富の格差であって、そこにスポットライトを当てるべきだ。そして、問題の本質を誰もが認識できるようにすれば、民主主義の下では必ず99%が勝てる。

 

この指摘は日本の政治状況にも、そのまま当てはまるのではないでしょうか。確かに様々な対立軸があって、どれも重要ではあります。しかし、最も重要なのは富をいかに分配するか、貧富の格差をいかに解消していくか、という点にある。そして、この問題に直結するのは、税制であり、実質賃金の上昇であり、雇用形態だ、ということになる。消費税は撤廃し、法人税を元の税率に戻す。実質賃金を上げる。非正規労働という雇用形態を見直す。残業代はちゃんと払う。そういう取り組みが、重要だということになると思います。

 

この点、実はイングルハートと同じことを経済学者の松尾匡氏も述べている。松尾氏によれば、マルクスの主張には正しかったこともそうでなかったこともあった。ただ、現状は99% 対 1%の戦いになっていて、これはマルクスが述べた階級闘争と同じだ、ということになる。

 

この問題、繰り返しになりますが、最も率直に取り組もうとしている日本の政党は、“れいわ新選組”だと、私は思います。立憲民主や国民民主ではない。彼らは、税制について正しい認識を持っていない。

 

日本の現状に照らして言えば、「右翼と左翼は戦うな」ということではないでしょうか。右と左が戦うと、本当の争点が見えなくなる。上と下で、99% 対 1%で、階級闘争をおこなうべきだ、ということではないでしょうか。

 

2番目の論点として、Basic Income(以下「BI」)という問題がある。これはシンギュラリティがやって来て、ほとんどの仕事をAIがこなし、人間は仕事を失う。そうであれば、国民全員に月々、一定額を支給すれば良い、という考え方のことです。但し、イングルハートはBIに否定的な見方を示しています。人間の中には、仕事に人生の意味を見出すような人が少なくない。仕事をせず、ただ金銭をもらっても、生きがいを見つけられない人がいる、というのです。山本太郎さんもBIには、否定的な見方をしています。日本の状況を見ていると、仮にBIを導入すると、政府は「金を渡しているのだから、後は自己責任で」と言い出しかねない。困っている人それぞれに対して、例えば安価で住宅を提供するとか、きめの細かい施策が必要だと太郎さんは言っている。

 

BIと言ってもいくつかのパターンがある訳で、新自由主義者が主張するBIというのは、大体、月々7万円程度を支給するというものです。しかし、それと同時に雇用保険も年金も廃止してしまえ、というもの。月々7万円で、暮らしていけますか? 私は無理です。そんなBIなら、現状の方がまだましだと思います。

 

3番目の論点。イングルハートは、私たちに残された時間は18年だと述べている。日本の場合を考えますと、例えば、日米FTAの問題がある。これは今年の4月から交渉が開始され、年内に妥結するリスクがある。原発だってある訳で、大地震がやって来ないという保証はどこにもありません。日本に限って言えば、18年もの猶予期間は残されていないように思います。にもかかわらず、約半数の国民が政府を支持している。これはもう絶望的です。

 

そもそも「進化論的近代化論」によれば、人間の価値観は生育期に決定されるのであって、その後の変化は少ないとのこと。従って、人間集団を見た場合、その集団の価値観が変化するためには、世代交代が必要であって、そのためには概ね40年は掛かる。更に、オルテガに言わせれば、大衆の愚かさは、死ぬまで治らない。

 

すると、私たちが助かる道は、2つしかないように思うのです。そもそも文化というのは、生物の進化に似ているという説に従えば、18年以内に日本で文化の「突然変異」を起こすという道。2つ目は、他国で、特にアメリカの政治状況の変化に期待するという道。ちなみに、今年の11月に予定されているアメリカの大統領選ですが、マイケル・ブルームバーグという元ニューヨーク市長が民主党から立候補するようで、トランプに勝つのではないかという下馬評がある。ただ、このブルームバークに日本が期待できるかと言う点は、悲観的な論調が多い。

 

4番目の論点。オルテガのヨーロッパ中心主義は時代遅れで、既に、その意味を失っている。これは、時間の経過とともに生じた現象だと言えると思うのですが、ただ、オルテガは私の認識論に通ずるようなことも言っているのです。これは、「大衆の反逆」の中のある注釈なのですが、抜粋してみます。

 

(5) 精神の自由、すなわち知的能力は、伝統的に分離しえなかった諸概念を分解する能力によって計られる。概念を分解するのが、それらを融合するよりもずっと大変であることは、ケーラー(1887~1967。ドイツの心理学者。主著『類人猿の知能試験』)がチンパンジーの知能の検査で証明している。人間の悟性は、いまほど分解する能力をもったことはない。

 

私は、現代人の認識方法を「記号分解」と命名し、記号を用いて物事を分解して認識する点に特色があると述べてきた訳で、この考え方と上記のケーラーの説は一致しています。このような記述に出会ったことは、私にとって重大な発見で、心強く思うものです。また、オルテガは特に科学者に対する批判の中で、専門化が進み過ぎて、全体を見失っているという批判を加えています。つまり、総合性を回復させるべきだ、と主張しているのです。この点も、私の主張に合致します。

 

オルテガについて、もう少し調べてみたい。特に、その主著である「個人と社会」という本は、読んでみたいと思って本屋に行ったのですが、「その本は、既に流通していない」とのことでした。その後、オルテガ全集の中で「個人と社会」を収録している巻だけ購入できないか、と問い合わせたのですが、オルテガ全集自体、既に絶版になっているとのこと。残念!

 

5番目の論点。そもそも、上に記したような絶望的な状況下にあって、それでも政治について述べることにどれだけの意味があるのか。最近は、絶望のあまりツイッターやブログを止めてしまう人も少なくないようです。気持ちは、良く分かります。この点、現時点では、社会契約論から、次の箇所を抜粋させていただきます。

 

- 自由な国家ジュネーヴの市民として生まれ、主権者たる人民の一員として、私の発言が公共の政務においてどんなに微力であろうと、投票権をもつというだけでも、政務を研究する義務を負わされている。-  ルソー